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修了式
2024年度3学期修了式が執り行われました。神様の祝福とお守りのうちに無事にこの日を迎えられたことに感謝しました。
学校の年間目標は「心から感謝するこども」でした。
この1年間、教育活動の様々なテーマにも「感謝」を中心に据え、子どもたちは意識して取り組んできました。
しかし「感謝」はこの1年間で終わるものではありません。感謝することを身に着けた子どもたちは、感謝の輪をさらに大きく広げ、また土台として、新年度もさらに成長していきます。
修了式の校長式辞をご紹介します。
年間目標は『こころから感・謝するこども』でした。短い3学期でしたが、感謝を集められたでしょうか。たくさんの感謝を感じたとしても、感謝を誰かに返し、伝えられないと残念です。
3学期に皆さんと一緒に考えた聖句は、
「主に向かって歌い、ほめ歌をうたい
驚くべき御業をことごとく歌え。
聖なる御名を誇りとせよ。
主を求める人よ、心に喜びを抱き
主を、主の御力を尋ね求め
常に御顔を求めよ。」
(旧約聖書 歴代誌上 16章9⁻11節)でした。
この聖句を少し分かり易く読み替えると、「私たちに対して神様が、今までにしてくださったこと、これからしてくださるだろうことに感謝し、賛美をささげなさい、歌を歌いなさい。神様のお名前を心の真中に据えてごらんなさい。神様を大切にする人は、心の中に喜びを蓄えて、神様の顔を尋ね、助けを求めると良い」と勧められているのです。残念な気持ちや悲しい気持ちの時でも神様のなさることに感謝して、自分のできることを精一杯にしてみると、また新しい感謝が生まれ、感謝の気持ちが増すのです。だから、顔を上げて明るい光の方向、神様の方向を眺めなさい、と聖書は進めています。
3学期は短い学期でした。しかし、三育小学校に集まっているひとり一人が、周りの人を思いやり、たくさんの感謝と喜びを広げられたことを信じ、感謝したいと思います。
少し難しい言葉ですが、感謝を生み出す3つの気持ちがあると言われています。「感恩、知恩、報恩」です。
「感恩」は、与えられた恵みに感謝して生きることです。誰かからの思いや願い、助けや支え、善意によって私たちの「あたりまえ」が支えられていることを覚えましょう。
「知恩」は、神様からの無条件の愛、家族からの愛、友達からの愛、出会う人たちからの愛など、たくさんの目に見えないものの大切さに気づき、忘れないようにすることです。
そして「報恩」とは、感謝することを知り、気づいたのだから、その恩恵に感謝し、善をもって報いること、良い行いをすることです。学校訓「だから、何事でも人々にしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。(お返しすること)」と同じです。
たとえ、自分自身に悲しいことや辛いこと、不幸や不運に見舞われても、感謝と喜びを土台にして愛ある奉仕をすることが、自分ばかりか、誰かの感謝を生み出す生き方だからです。
さあ、2024年度は過ぎ去りました。新しい一年、2025年度が間もなく始まります。感謝を忘れずに、心も体も健やかに過ごし、良い学びと生活ができるように願っています。
卒業式
第76回卒業式が執り行われ、卒業生たちが新しいステージに向かって歩み出しました。
1年生の時は本当にかわいらしい姿でしたが、心も体も成長し、一人ひとりが手を取り一致して、太く大きな木となってたくさんの素晴らしい実をつけました。互いに思いやり、尊重し合い、助け合い、平和をつくり出そうとする愛の実です。
下の学年の子どもたちはこの実を見て、卒業生たちがしてくれたこの実をいただき、優しさ、励まし、勇気、最善を尽くそうとすること、認め合うこと、赦し合うこと、誰かのために尽くすことなどを味あわせてもらい、感謝しました。
在校生たちはこの先、卒業生たちがしてくれたことを糧とし、実践し、さらに大きな三育の木として成長していくことでしょう。
それぞれ歩む道は異なる卒業生たちですが、
「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」
(校訓 マタイによる福音書 7章12節)
「わたしたちは、神さまに愛されている人として、互いに愛し合い、互いの必要に応え、世界のどこにいっても平和をつくり出し、神さまの栄光を現すために共に学び、働きます。」
(ミッションステートメント)
をこれからも実現する人として、神さまから与えられた場所で、新しい仲間たちに三育で学んだことを伝え、共有してくれることを願っています。
卒業祈祷週 メッセージ⑦
祈祷週のために6年生全員で選んだテーマ聖句は、
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
ヨハネによる福音書15章5節
でした。この聖句は卒業生としてのモットーでもあります。
23名の子どもたちには神様が用意されている23通りの道があります。平たんではないかもしれませんが、神様の木につながっていれば安心して歩むことができる道だと子どもたち自身が気づいてくれていることがうれしいかぎりです。
この6年間で子どもたちは神様からたくさんの愛と喜びをいただきました。その愛と喜びをもって自分自身が喜ぶだけでなく、これから出会う人々を助けたり、励ましたり、寄り添ったり、赦すことをいとわない人にさらに成長してくれると信じます。
今日は、卒業祈祷週のメッセージをご紹介する最終回です。
「自分の目の中」
皆さんに嫌いな人はいますか。おそらく誰でも一人はいるのではないかと思います。
私にも嫌いな人がいました。その人は自己中心的な性格で、すぐに人を否定する人でした。また、別の嫌いな人は自分の非を認めず、自分を過大評価する人でした。
ある日、嫌いな人が声を掛けてきました。私は冷たい態度をとりました。その人に時間を割くより、仲が良い人と過ごす方が有効だと思ったからです。その人は離れていきました。
数日後、別の人が声を掛けてきました。怒られると面倒だと思ったので、優しく接しながらも早く話を終わらせようとしました。察したのか、その人はその場をあとにしました。
その夜、夢を見ました。クラスメイトに嫌われ、悪口を言われる夢です。朝が来たとき、私は学校に行くことが怖くなっていました。本当にそう思われていたらどうしよう。その不安を打ち消そうと、そう思われることがないか自分の行いを精査することにしました。
私は気づきました。そのように思われていても自業自得なのです。私は仲がいい人に対しても自分の損得だけを考えて接していました。この人と仲が悪くなると困るから、仲良くしよう。そのように、自分が社会に適合するための道具として人をみていました。
そしてもう一つのことにも気づきました。嫌いな人に当てはまる特徴は、そっくり私にも当てはまっているのです。私は自分の利益のためだけに人と接し、嫌いな人の良いところを見ようともせずにすぐに否定していました。自分は正しい方で、相手の性格や態度が悪いと考え、自分は嫌われる側ではないと思い込んでいました。きっと自分の醜いところを見るのが怖くて、他人の粗探しをして目を逸らしていたのでしょう。
一つの聖句を思い出しました。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」
マタイによる福音書 7章3~5節
私は自分が自己中心的で、人を否定していることに気づけませんでした。またそのような自分の非を認めず、人の悪いところばかりを見ていました。自分が正しいと思うことは時に良い効果を発揮しますが、本当の自分の姿を見なくなることにもつながります。皆さんも「自分は正しい」と思うことがあると思います。しかし、まずは自分にも悪いところがなかったか冷静になって考えてみてください。相手だけが悪いことはないはずです。
また、人を悪い人だと決めつけていませんか。嫌いな人だと余計にそう思えるかもしれません。しかし、そのような厳しい目線で人を見ているとやがて自分にも跳ね返ってきます。まずは赦してみてください。自分が罪を犯したときに赦してもらえるかもしれません。
これらは、全て聖書に書いてあったことです。私はこの出来事を通して、イエス様がどんなに賢いかを知りました。聖書を通して、人と接するうえで必要な知恵を教えてくださっているのです。最後に、私が大事だと感じた聖句を紹介します。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」
ルカによる福音書 6章37節
校長通信を更新しました
月1回程度のペースで、校長 平田 理 が「校長通信」を掲載しています。
今回のタイトルは「感謝を広げる」です。