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「助けてくれる?に応える」

校長 平田 理

 

 

 

 夏休みに入りました。子どもたちが心身ともに健康に安全に過ごし、夏休みにしかできない体験や家族との時間を神様が豊かに祝福してくださり、2学期に向けてさらに神様が成長させてくださることをお祈りしています。

 

 誰かに助けてもらったことを忘れてしまう、反対に、助けを求められて、助けたことを忘れてしまうことも多いのが私たちの日常です。極端な例ですが、「荷物を持ってくれる?」は頼みやすく、助けやすいことですが、「心の重荷をもってくれる?」とは、簡単には頼めませんし、気楽に助けられないことです。助けたことの大小によっても記憶や印象の深さは変わりますし、本当に助かったと感じた出来事には大小の差は無く、忘れ難いのではないでしょうか。

 

「受援力」と「授援力」(共に「じゅえんりょく」)聴き慣れない言葉ですが、子育てや家庭教育において利用される言葉です。隣近所の互助の関係が薄くなった現代社会では、「助けてくれる?」を気兼ねなく発することができる人間関係や仕組み、子育て環境が必要ですし、だれかの「たすけて!」に迅速に、適切に寄り添い、手助けできる人や組織が求められているからでしょう。

 

「目をあわせない」「疎遠」な社会の中にあっても、私たちはたくさんの助けが必要な時を過ごしていますし、助けてあげたり、もらったりしながら生活しています。ですから「じゅえんりょく」は、「助ける」「助けられる」の関係性において、誰もが備えておきたい「態度」「姿勢」ではないでしょうか。

 

 一方で「助けてくれる?」と自分には助けが必要だと感じ、助けを求める時こそ、実は誰かの助けや必要に気づき、手助けに努めることが大切です。それは、互いの必要を満たす関係性を築くための土台になるからです。

 更に「助ける」にしても「助けられる」にしても、その機会は「あなただけ」に神様が与えて下さっている「特別な機会」だと捉えることも大切です。

 聖書(箴言11章25節)は、

「気前の良い魂はふくよかにされ、水を飲ませる者は彼自身もまた潤されるであろう。」

と、私たちの本当の喜びや最大の幸福は、隣人に自分を与えることでもたらされることを教えています。

「・・・めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」

(フィリピの信徒への手紙2章3~5節)

 

「助けてくれる?」と誰かに自分自身をひらき、誰かの「助けてくれる?」に対して、与えられた特別な機会だと、応えられる子どもたちを増やしたいものです。

 

 

 

 

学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください

5年生 聖書・総合 “Do for Others”

 5月の運動会が終わってから、5年生たちは「学校のために何かしたい」「だれかの役に立ちたい」と考えてきました。

 

「自分たちができることは何だろう」

 

 5年生たちは2年生に聖書のお話をして、そのお話に関係するゲームを企画し、楽しんでもらうことにしました。

 聖書のお話は、3つ用意しました。

「ヨルダン川を渡る契約の箱」(旧約聖書 ヨシュア記 3章)

「ゴリアテを倒したダビデ」(旧約聖書 サムエル記上 17章)

「魚に飲み込まれたヨナ」(旧約聖書 ヨナ書1,2章) でした。

 2年生のために、3つのお話は長くならず、短い時間で簡潔に分かりやすくお話ししてくれました。

 5年生のお兄さんお姉さんの話をひと言ももらさないで聴こう!と熱心に一生懸命に耳を傾けた2年生でした。

 そのあとはお祭りのように見立てたゲームを催してくれた5年生。

「ヨルダン川を渡る契約の箱」は、金の紙を貼った契約の箱を作り、2年生が担ぐ

「ゴリアテを倒したダビデ」は、輪投げや、紙コップを使ったトントン相撲

「魚に飲み込まれたヨナ」は、魚釣りです。

 さらに聖句を書いたパズルを作り、そのパズルのパーツを2年生教室に宝物として隠し、パズルを完成させるゲームもありました。

 どのゲームにも終了したらプレゼントがもらえました。ラミネートされた聖句のしおりや、カードでした。

 全てが5年生の心のこもった手作りのゲームとプレゼントで、2年生はゲームで楽しみ、プレゼントは心から喜び、ぎゅっと握りしめて教室に帰りました。

 準備には時間も労力もたくさん要しましたが、“Do for Others”「人々のために尽くす」ことの大きな喜びを体験した5年生でした。

 

 三育の子どもたちが、自分の満足のためでなく、だれかに言われたからでなく、人々の必要に応えることをいとわない経験を積み重ね、神様にあってサーバントリーダーとして成長してくれることを願っています。

 

『受けるよりは与える方が幸いである』使徒言行録20章35節