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「練習時間」

校長 平田 理

 

 

 

 子どもたちの自由時間、教室の移動時間、授業の合間の休み時間、学校全体の集散など、正規の学習活動には含まれない「練習時間」が多くあります。児童全体での集合や解散、学年ごとの整列では、ひとり一人の行動と役割を学びます。みんなで順番や時間を守り、自分と他者の違いを理解し、片付けを大切にし、歩調を合わせること等を繰り返し練習します。これは自分勝手な振る舞いを止めて、気持ちを切り替える「練習時間」でもあります。行事や活動自体には含まれない「練習時間」ですが、規律や約束を守る反復練習は集団生活の大切な土台づくりです。集団での自分の役割や立場を考えるばかりか、姿勢を保持し(筋力)、列や隊形を整える力(空間認知)、責任感や協調性を養います。行き過ぎた全体主義や同調圧力は不要ですが、何かを待つ時間でさえ、集団での振る舞いや個人の役割が鍛えられる貴重な体験的な学び「練習時間」です。

 

 小学校生活では、人に備えられた五感(味覚、触覚、嗅覚、聴覚、視覚)を適切に刺激する、感覚刺激を大切にしたいです。更に効果的に刺激するには「身体に近い感覚」から刺激することが大切だと言われています。添加物や加工食品の味で慣らされている舌には、自然な食べ物の味や様々な歯ごたえを知る機会が必要です。

 また、日常生活や身近な自然界にある様々なものを、安全を確かめつつ、実際に手や足や肌で触れてみるような、手が届く体験が大切なのです。さらには、人工的な香りが溢れる都会生活では、自然界や身近な生活にある臭いをかぎ分ける力も大切にしたいものです。

 技術革新によって視聴覚教材は、誰もが膨大な量を眼の前に直ぐに入手できる時代なのですが、幼い年齢に与える刺激は、できるだけ「身体に近い距離」の感覚から丁寧に刺激していくことが望ましいのです。「トゲトゲしてイタイね」「どっちの葉っぱが硬いかな?」「おかあさんはこっちのかおりが好き!」豊かな五感を育てる刺激は、身近な人と体験を分かち合うことで更に効果的だと言われています。

 

 校内には植物や生き物が多くいます。子どもたちは毎日のように植物の成長や、小さな生き物を追いかけ、手に取り観察しています。時には蝶の幼虫を発見し、えさを調べ、用意し与え、さなぎとなる様子や、ふ化して飛び立つまでを見届けます。1~2年生が春に植えたさつま芋の苗は、あと1か月もすると収穫の時を迎えます。こうした時間をかけた生きた体験的学びが必要とされています。

 

 聖書は、「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」(フィリピの信徒への手紙1章9、10節)と薦めます。小さな「練習時間」によって体得される感覚を大切にしたいものです。

 

 

 

学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。

 

 

重要 2023年4月入学の為の入学願書配布はお申し込みによる郵送です

コロナ禍の折、願書をお受け取りくださる皆様と本校児童を守る観点から、

9月1日(木)開始の願書配布は、郵送のみとさせていただきます。

 

本校受験をご検討くださる皆様にはご不便をおかけいたしますが、ご理解くださいますよう、よろしくお願いいたします。

 

願書をご希望の方は、下記リンクのフォームに入力し、お申し込みください。

9月1日から、お一人・一部を送らせていただきます。(一部・無料)

週末をはさむ場合は、願書到着まで4~5日かかる場合があります。

到着が遅い場合はお手間をおかけして申し訳ございませんが、学校ホームページ「資料請求・お問い合わせ」よりご連絡をお願いいたします。

 

お申し込みはこちらから↓↓

https://forms.gle/jbLL2CjBd3LuT5fd7

重要 2023年4月入学の為の入学願書配布はお申し込みによる郵送です

コロナ禍の折、願書をお受け取りくださる皆様と本校児童を守る観点から、

9月1日(木)開始の願書配布は、郵送のみとさせていただきます。

 

本校受験をご検討くださる皆様にはご不便をおかけいたしますが、ご理解くださいますよう、よろしくお願いいたします。

 

願書をご希望の方は、下記リンクのフォームに入力し、お申し込みください。

9月1日から、お一人・一部を送らせていただきます。(一部・無料)

週末をはさむ場合は、願書到着まで4~5日かかる場合があります。

到着が遅い場合はお手間をおかけして申し訳ございませんが、学校ホームページ「資料請求・お問い合わせ」よりご連絡をお願いいたします。

 

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「めざしている」

 校長 平田 理

 

 

 

 新型コロナウイルス感染症が収まるところを見せない中、2学期を迎えました。それでも今年度は昨年度のように始業式を遅らせることなく開始できましたので、感謝なことです。日焼けし、背も伸び、一回り大きくなった児童の元気な顔を見ると、2学期も教育活動を止めることなく無事に終えることができますようにと祈らずにはいられません。

 

 少し前になりますが、本屋大賞受賞作(2015年)で宮下奈都さんの『羊と鋼の森』という作品がありました。若いピアノ調律師が自立していく姿を描いた物語で、後に女優姉妹が共演する映画(2018年)にもなりました。本校でも校内のピアノ調律を定期的にお願いしているので「調律師」という職業にも興味があり「ななめ読み」すると、広島県出身の詩人、小説家で被爆者としても知られる原 民喜(はらたみき 1905-1951)の一文が引用されていて、思わず引き込まれました。

 主人公の外村直樹が先輩の調律師 板鳥宗一郎にこう尋ねる場面があります。「板鳥さんはどんな音を目指していますか。」板鳥は「外村くんは原 民喜を知っていますか。」と言って、「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体。」の一文を引用しました。板鳥は「原民喜が、こんな文体に憧れていると書いているのですが、しびれました。私の理想とする音をそのまま表してくれていると感じました。」と板鳥がめざしているピアノの音について、丁寧に言語化して後輩に伝えるのです。「技は見て盗め」「○○年で一人前」といった職人気質な伝え方ではなく、見つめている先にある目標を「静かに澄んで懐かしい音、厳しくも深い、美しくも確かな音づくり」を目指していると伝えます。文体と調律の違いこそあれ、めざしている領域に「しびれた」ことが伝わってきます。

 

 使徒パウロは「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」。(フィリピの信徒への手紙第3章13~14節)と興味深い表現で目標の目指し方を記しています。「後ろのものを忘れて・・・目標を目指してひたすら走る」は、ただ単に過去へのこだわりや執着から離れ、全て忘れて前向きに歩みなさい、との勧めでは無さそうです。私たちは過去の蓄積の中で生きており、過去の全てを忘れ、無かったことにはできないからです。

 

 「後ろのものを忘れ」という言葉には、過去の自分にあった失敗や弱さ、苦難、罪の全てをキリスト・イエスに担って頂き、その恵みによってのみ、目標をめざして新しく歩み出せます、という「厳しくも深い」「美しくも確かな」励ましが込められている気がします。

 

 

 

学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。