夏期休業のお知らせ(7/23~8/25)
7月23日(土)~8月25日(木)は夏期休業です。
お問い合わせなどは、本校ホームページ「資料請求・お問い合わせ」からお願いいたします。
ただし、夏休みのためお返事が遅れる場合があります。ご了承ください。
7月23日(土)~8月25日(木)は夏期休業です。
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月1回程度のペースで、校長 平田 理 が「校長通信」を掲載しています。
今回のタイトルは、「どうせなら」です。
校長 平田 理
「どうせ〇〇になるでしょ」「どうせダメだって言うんでしょ」「どうせ〇〇だよ」
子どもたちの口から時折聞かれる「どうせ」発言が気になります。結果はわからないにも関わらず、予想される結果を初めから決まったことのように感じている言葉です。「あきらめ」や「すてばち」な気持ちが根底にあるように感じます。「所詮」「結局」も同様に、自分自身への過小評価や自信の無さ、時には軽蔑的な思いも加わるのでしょう。経過や中途での小さな努力や大切な気づきがあるにも関わらず、消極的で後ろ向きの考え方が優先されるようです。大人でさえも多くの場合、「どうせ」発言の考え方に近づいてしまうのですが、自分に足りない部分を素直に認めて「どうせなら」「せっかくだから」の自分への肯定的な感情を増やせると「予想される結果」は想像を越える良いものになるのかも知れません。勿論、それ以下の結果かも知れませんが、そこに至るまでの経緯、努力、気づき、理解を蓄積できるのではないでしょうか。
イエス・キリストの弟子たちは漁師でしたから、魚を獲ることに関しては知識も経験も豊富でした。ところが群衆に話し終えたイエス・キリストから「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と助言された物語(ルカによる福音書5章1~11節)があります。前夜に夜通し苦労して何も得られなかった弟子たちは、当然のことながら「漁師が苦労したにも関わらず漁獲ゼロ」「昼間から漁をする漁師はいない」との思いを抱きました。しかし、「素人の助言」に疑念を抱きつつも「お言葉(せっかく)ですから、網を降ろしてみましょう」と答え、再挑戦します。その結果は想定をはるかに超えた結果(豊漁)であったのです。
この物語は色々な困難や苦労、失敗を「恵まれた機会」「貴重な体験」として、「どうせなら」「せっかくだから」と切り替え、期待した結果が得られなくとも挑戦する姿勢が成長の鍵であることを教えてくれます。自らが設定している限界や既成概念にとらわれ、「どうせ」の思考が貴重な体験や努力の機会を奪っているのかも知れません。
シモン・ペテロは自分の知識や経験という「どうせ」の基準から、イエス・キリストの基準を「どうせなら」「せっかくだから」と、小さな勇気と素直さで受け入れ、直ぐに行動に移したのです。
それは豊漁という結果ばかりか、彼自身の生涯を決定づける選びにつながりました。
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。
月1回程度のペースで、校長 平田 理 が「校長通信」を掲載しています。
今回のタイトルは、「努力はセパレートコース」です。
校長 平田 理
感染症予防の観点から、長期間にわたり学校活動も様々な制約を受けてきましたが、諸活動も行事も、少しずつ慎重に戻しているところです。
5月には保護者の人数を限定して運動会を実施しました。2年ぶりに参観していただけた運動会となり、子どもたちは大いに張り切り頑張りました。
さて、運動会の練習では、上級生や教職員の指示に従いつつ集団行動や種目練習を繰り返したり、セパレートコースの走り方を覚えたり、下級生たちも一生懸命に走り、運動会に備えました。
「○○くん、ガンバレ~!」「△△さん、すごい、すごい!」「いいぞ、いいぞ!」の声援に背中を押されるかのように懸命に走ったり、跳んだりする子どもたちは健気で、熱中する姿は素晴らしいです。眼の前にあるコースの中を、線からはみ出さずに全力で走ることは、下級生にとっては中々大変な種目です。競うのですから、誰かとの勝ち負け(速い遅い)の比較も大切ですが、自分の力を最後まで使い切るかがもっと大切です。以前よりは走り方が上達したり、タイムを縮められたりすること、言わば過去の自分との比較から成長と喜びを感じる体験こそが、次の学びへの原動力なり、本当の意味で「たいへんよくできました」につながるのです。
子どもたち一人ひとりの「努力はセパレートコース」です。ある集団内で個人の力をはかるには、順位や比較がわかりやすいのですが、結果から導かれた数値的評価のみで子どもたちの力や成長を表すには限界があります。学習や諸活動での小さな気づきや成長、本人なりの努力や工夫が数値のみの評価では埋没してしまいます。去年は跳べなかった回数や走れなかった距離や時間、わからなかった問題や書けなかった漢字・・・夫々の子どもたちが、できなかったことができるようになり、わかるようになったことを「いいぞ!」「それでいい!」と励まし、様々な可能性を伸ばせるように応援し、導く学校と家庭でありたいものです。
使徒パウロは、「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。」(ローマの信徒への手紙5章3~5節上句)と、神様から頂く栄冠への希望を述べていますが、日々の努力を重ねている人にも勇気を与えてくれます。子どもたちが出会う問題は必ずしも喜ばしい結果につながることばかりではありませんが、乗り越えるための忍耐や努力は必ず「希望」へとつながるのです。
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。