「努力はセパレートコース」
校長 平田 理
感染症予防の観点から、長期間にわたり学校活動も様々な制約を受けてきましたが、諸活動も行事も、少しずつ慎重に戻しているところです。
5月には保護者の人数を限定して運動会を実施しました。2年ぶりに参観していただけた運動会となり、子どもたちは大いに張り切り頑張りました。
さて、運動会の練習では、上級生や教職員の指示に従いつつ集団行動や種目練習を繰り返したり、セパレートコースの走り方を覚えたり、下級生たちも一生懸命に走り、運動会に備えました。
「○○くん、ガンバレ~!」「△△さん、すごい、すごい!」「いいぞ、いいぞ!」の声援に背中を押されるかのように懸命に走ったり、跳んだりする子どもたちは健気で、熱中する姿は素晴らしいです。眼の前にあるコースの中を、線からはみ出さずに全力で走ることは、下級生にとっては中々大変な種目です。競うのですから、誰かとの勝ち負け(速い遅い)の比較も大切ですが、自分の力を最後まで使い切るかがもっと大切です。以前よりは走り方が上達したり、タイムを縮められたりすること、言わば過去の自分との比較から成長と喜びを感じる体験こそが、次の学びへの原動力なり、本当の意味で「たいへんよくできました」につながるのです。
子どもたち一人ひとりの「努力はセパレートコース」です。ある集団内で個人の力をはかるには、順位や比較がわかりやすいのですが、結果から導かれた数値的評価のみで子どもたちの力や成長を表すには限界があります。学習や諸活動での小さな気づきや成長、本人なりの努力や工夫が数値のみの評価では埋没してしまいます。去年は跳べなかった回数や走れなかった距離や時間、わからなかった問題や書けなかった漢字・・・夫々の子どもたちが、できなかったことができるようになり、わかるようになったことを「いいぞ!」「それでいい!」と励まし、様々な可能性を伸ばせるように応援し、導く学校と家庭でありたいものです。
使徒パウロは、「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。」(ローマの信徒への手紙5章3~5節上句)と、神様から頂く栄冠への希望を述べていますが、日々の努力を重ねている人にも勇気を与えてくれます。子どもたちが出会う問題は必ずしも喜ばしい結果につながることばかりではありませんが、乗り越えるための忍耐や努力は必ず「希望」へとつながるのです。
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。