校長通信を更新しました
月1回程度のペースで、校長 平田 理 が「校長通信」を掲載しています。
今回のタイトルは「感謝を広げる」です。
月1回程度のペースで、校長 平田 理 が「校長通信」を掲載しています。
今回のタイトルは「感謝を広げる」です。
今日も卒業祈祷週の中から、メッセージをご紹介します。
初めは自分にとって辛い出来事だと思っていたことも、私たちを愛してくださっている神様がくださるすべては神様のご計画があり、一番良いものであることがわかったので、示してくださる道を信じて歩みたいと話してくれました。
「100%の神様の計画」
私は、三育小学校に入学して初めて神様と出会い、聖書の内容やお祈りの仕方について教わりました。入学当時は、礼拝や聖書の授業で神様の話を聞いていても分からないことが多く、神様のことを意識することはありませんでしたが、2年生になると聖書の物語に興味を抱くようになり、自分から聖書を読むようになりました。
聖書の中心人物であるイエス様についての話を聞いたり、イエス様が行った奇跡の話を読んだりしていると、イエス様について一つの疑問が湧いてきました。「私たち人間を罪から救うために、なぜイエス様は十字架にかかって死んでくださったのだろうか」ということが、聖書を読み始めたばかりの私にはとても不思議でした。時間が経過していく中で、この疑問に対して何となく分かったような気がしていましたが、6年生の2学期の祈祷週で松下晃大先生がイエス様の十字架について分かりやくお話してくださり、私の中の疑問が解けました。
神様はアダムとエバが罪を犯す前から救いの計画を立ててくださっていて、人間が罪を犯してしまったら独り子であるイエス様を人間として地上に送り、罪の無いイエス様による十字架の死と引き換えに、私たち人間を罪から救う約束をしてくださっていたのです。父なる神様と子なるイエス様による救いの計画は、私たち人間に対する愛の証明であり、私たち人間をそれほどまでに愛してくださっていることに私は嬉しくなりました。
神様は私たちを罪から救う計画とともに、私たちを神様へと導いてくださる計画も立ててくださっています。
私は4年生の時の移動教室で、部屋の壁に足の小指をぶつけてしまいました。痛みが続くので家に帰ってから接骨院に行き、診察してもらうと骨にひびが入っていて接骨院の先生から「2、3ヶ月は運動をしないで安静にしていてください。」と言われました。
その頃の私は週に4回テニスに通っていて、テニスしている時が何よりも充実していました。なので、テニスを2、3ヶ月も休むのがとても嫌で悲しくなりました。そして、私の心の中は、なぜ骨にひびが入ってしまったのだろう、治るまで2、3ヶ月もかかるのだろう、怪我をしたのが何で自分だったのだろうと、マイナスな思いばかりがめぐっていました。
ですが、怪我をしたことによって新たな気づきがありました。接骨院に行った日から放課後にテニスはできなくなりましたが、お母さんとおしゃべりをしながら洗濯物をたたむ時間や、勉強の課題を進めたり、復習したりする時間もできました。この様な時間は心と体をリフレッシュさせるより良い時間になり、怪我が治ってテニスに復帰すると前よりも集中した質の高い練習ができるようになりました。
神様は時に試練や困難を与えられることがあります。そのような時はなぜこんなことが起きるのだろう、自分ばかり嫌なことがあるなどと考えてしまいますが、一度立ち止まって冷静になり、この出来事を通して神様は私に何を伝えようとされているのか、神様のご計画はなんだろうと考えてみることで、自分自身を成長させることができ、神様へと近づくことができると思います。
私はこの2つの出来事から、神様はその人にとって一番良い計画を良いタイミングで、偶然ではなく100%の計画で立てておられるのだと思います。
聖句を紹介します。
「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」
エフェソの信徒への手紙 1章11節
神様が私たちに準備してくださっているご計画は、私たちにとって最善の計画であることを信じて歩んでいきたいです。
今年度は昨年度以上に体験学習を重ねた1,2年生でした。体験学習は子どもたちの心を活性化し、学びの意欲を深めました。また実体験なので作文やまとめの学びの子どもたちの表現力も豊かになりました。
今年度最後の体験学習であり、校外学習は武蔵野市・井の頭自然文化園でした。
学校からみんなで徒歩とバスで行き、事前に交通ルールを守ること、公共交通機関を使う時のマナーを改めて確認し、実践できました。
井の頭自然文化園に到着してからは、いただいたワークシートをもって、飼育されている動物のクイズに答え、動物や鳥がどんな行動をするのか、どんな姿をしているのかをよく観察して、ゲームにもチャレンジしました。
最後に動物解説員の方がワークシートの答え合わせをしてくださり、30分にわたってさらに学びを深めさせてくださいました。
興味深かったのは、ホンドテンの顔の毛の色は、春から秋にかけては体と同じ茶色ですが、冬は白い毛になること。今の時期は春に近づいているので、顔の毛の色が白だったり茶色だったりすること。
ヤクシカはお尻の毛の色が体と同じ茶色の毛でもいいのに、なぜ白いのか。それは鳴き声を発すると居場所が分かり襲われる可能性があるので、仲間に危険!を知らせる手段として、白い毛のお尻になっていて、さらにその毛が全部逆立つ、ということでした。夜は白い毛のお尻が互いの位置確認にもなるそうです。面白かったのは、動物園では野生のように危険なことはなく、安心して生活できますが、唯一このお尻の毛が逆立つ時があるそうです。それは痛い注射をする獣医さんがやって来る時だとお話されました。
子どもたちはどのお話にも「おもしろい!」と感心しきりでした。
子どもたちからの質問にも答えてくださり、学年に合わせた解説をたっぷりとしてくださいました。
観察の中で人気の動物は、サル山で様々な表情と行動をするサルと、活発に動き、エサのくるみを食べたり、水を飲んだり、休んでいる姿を間近に見ることができたニホンリスでした。
「サルがかたまって毛づくろいしているよ。」
「ジャンプした!あんなに飛べるんだね。」
「リスはすばしっこいね。」
「ニホンリスのしっぽは意外と大きいね。」
「くるみをカリカリしながら食べているよ。」
「ツルもいるよ!」
迎えてくださった井の頭自然文化園の皆さまに感謝いたします。
寒くもなく、風もなく、穏やかな陽気の空の下、お弁当を食べて帰りました。
今日も卒業祈祷週の中からメッセージをご紹介します。
6年間毎日聖書を学び、生活に生かしてきた6年生たちです。これから歩む道のりもまた、聖書が人生の指針となることを願っています。
「神様の導き」
聖書の物語を読んでいると、この人の性格は自分とそっくりだなと思ったり、この人の話は自分も似たような経験をしたことがあるなと思ったりすることがあります。その中でも特に似ていると感じているのがヨナの話です。
神様は預言者のヨナに、罪人が沢山いる恐ろしいニネベに行き、悔い改めなければ皆が滅ぼされることを警告するよう命じられました。ですが、ヨナはニネベに行くことを恐れて、神様の命令から逃れるようにタルシシュ行きの船に乗り込むのです。しかし、ヨナが乗った船は嵐に襲われて今にも砕けそうになります。ヨナは自分が神様の命令に背いて逃げたために神様が嵐を送られたことを分かっていて、自分が船から降りれば嵐が収まるので、船に乗っている人達に自分を海に投げ込むよう言い、ヨナが海に投げ込まれると嵐は静まるのでした。
神様は海に投げ込まれたヨナを助けるために、巨大な魚に命じてヨナを呑み込ませるのでした。ヨナは三日三晩魚のお腹の中にいて、神様に悔い改めの祈りを捧げます。神様はヨナの祈りを聞き入れて、魚に命じてヨナを陸地に吐き出させました。神様は、ニネベに行き警告を告げるよう、再びヨナに命じられました。神様によって嵐の海から助け出されたヨナは悔い改めてニネベに行き、神様によって皆が滅ぼされるから悔い改めるよう人々に告げました。ニネベの王と人々はヨナの言葉を受け入れて神様を信じるのでした。それをご覧になられた神様は、ニネベの人達を赦して滅ぼすことをしませんでした。
ヨナはニネベに行くことが恐ろしく、神様による命令にも関わらず、神様が共にいて守ってくださることを忘れてしまい、神様から逃れようとしてしまうのです。私もヨナのように、自分に都合の悪いことや、誰かと気まずい関係になってしまうと、そのことから目をそらして逃れようとしてしまうことがあります。
私は以前、幼馴染の友達と大きな喧嘩をしてしまい、その子と顔を合わせるのが嫌で、できるだけ避けるようにしていました。ある時、そのことについて別の友達に相談してみると、「きちんと話し合ってお互いの気持ちを確認したほうがいいよ」と言われたので、嫌々でしたが話し合いの時間をもつことにしました。最初はすごく気まずくてその場から逃げ出したい気持ちでしたが、少しずつ本音を伝え合っていくとお互いに誤解していたことに気が付き、結果的にはお互いに謝罪をして前よりも仲が深まるようになったのです。
自分に不都合なことが起こると逃げ出してしまうこと、向き合うべき相手に後ろめたさがあり直視できないこと、きちんと悔い改めることでより良くなること。このような点から、ヨナの話と私の出来事には共通点があり、私はヨナの話に親近感があるのです。そして、神様は自分の過ちに気が付いてきちんと悔い改めをした人には、より良い方法へと神様が導いてくださるのです。
聖書をお読みします。
「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
申命記 31章8節
ヨナがニネベに行くことを決めた時、私が友達との仲直りを選んだ時、その場には神様が共にいてくださり、私たちを導いてくださっておられたのです。そして、神様は、私たちが人生で出くわす様々な困難に備えて、その状況と似ている話を聖書に記して解決方法を教えてくださっているのです。神様は聖書を用いて私たちを導いてくださっています。神様の導きを信じて、神様の導きに感謝して、これからも歩んでいきたいです。
今日も卒業祈祷週のメッセージの中から、ご紹介します。
計り知れない大きな愛で私たちを包んでくださる神様が共にいてくださるので、神様がしてくださることを信じたい、不安はないと語ってくれました。
「神様は見捨てない」
皆さんは、自分は常に神様のことを信頼していて、神様に対して不安な気持ちはないと、胸を張って言えるでしょうか。以前の私は、神様を信頼していると、自信を持って言うことが出来ませんでした。
東京三育小学校で過ごした六年間で、神様のことや聖書の内容についてたくさん学びましたが、神様への不安が取り除かれるのではなく、むしろ不安が少し増してしまったというのが正直な思いでした。
なぜなら、天地創造やノアの方舟の話、重い皮膚病の十人を癒されたことや五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人を養った話など、どれも現実離れしていて「神様は本当に存在されているのかな、神様が本当にされたことなのかな。」という疑いの気持ちがふくらみ、不安な思いになってしまったからです。
その様な私の思いも、自分自身でも気付かないうちに変化をしていました。そのことに気が付いたのは、まさに卒業祈祷週で話す内容について考えている時でした。6年間の聖書の学びについて思い起こしている時、私の心に強く残っていたのは、神様は罪人の私たちを見捨てることなく、人間を罪から救うためにイエス様を地上に送ってくださった、神様の大いなる愛についてでした。
神様は天地を創造され、最後に御自分にかたどってアダムとエバを創造されました。神様はアダムとエバに、エデンの園に生えている全ての木からなる実を取って食べてよいを言われましたが、園の中央に生えている善悪の知識の木からは、決して食べてはいけないと言われました。しかし、アダムとエバは皆さんもよく知っているように、サタンの誘惑によって食べてしまうのです。神様との約束を破ってしまい、罪を犯してしまったために、人間は死ななくてはいけなくなりました。
ですが、サタンの誘惑に負けて罪を犯してしまったアダムとエバに対して、そして罪を犯してしまう私たちに対して、神様は見捨てることなく寄り添ってくださるのです。神様は、私たちを罪から救うための計画を既にご準備されていたのです。それは、独り子であるイエス様を地上に送り、私たちの罪と引き換えに十字架にかかって死んでくださるという、救いの約束をしてくださったのです。
アダムとエバがエデンの園を追放された後も、聖書には神様から離れてしまう人や偶像礼拝をしてしまう人など、罪にあふれた世界になってしまいますが、それでも神様は人間を見捨てることなく、マリアが聖霊によって身ごもり、イエス様が誕生されるのです。神様はアダムとエバにした預言の約束を成就してくださったのです。
イエス様が私たちの罪を救うために十字架にかかって死なれ、3日後によみがえられて天に戻られました。そして、神様は私たちに「再臨」という新たな希望の約束をしてくださいました。再びイエス様がこの地に来られて、私たちを天国へと連れて行ってくださる約束です。
神様は私たちを見捨てることなく、イエス様を地上に送り、イエス様の十字架によって罪から救ってくださる約束を果たしてくださいました。愛する独り子であるイエス様を、私たちを救うために与えてくださった神様の愛に応えるために、私は神様を信じたいと思います。
聖書をお読みします。
イザヤ書 41章9節
「わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。」
神様が私たちのことを選んでくださっていて、決して見捨てないとおっしゃってくださっています。この聖句を読んで、皆さんは神様に対して不安はないと胸を張って言えますか。今の私は、神様は決して見捨てられないお方であるから、神様に対して不安はないと、胸を張って言うことが出来ます。