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校長通信

「こころから たんきゅう(探求・探究)する こども」

校長 平田 理

 

 

 

 コロナ禍において新年度、新学期が例年通りの日程で始められましたことを、心から神さまに感謝致します。

 4月7日には始業式、4月8日には入学式を無事に執り行うことができました。

 

 本校では毎年、学校年間目標を聖句と共に掲げています。2021年度は 『こころから たんきゅう(探求・探究)する こども』~真理を探求し、知識を探究する~ であり、中心聖句は「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」(コロサイの信徒への手紙3章10節) としました。

 

 新型の感染症が世界的に広がり、これまでの仕組みや大切にしていたことが壊されています。また、何が善いことで、何が悪いことなのかさえも見失いそうです。これまでの「あたりまえ」や「とうぜん」は無くなり、来週や来月の予定さえもわからない状況です。

 

 「新しい生活」を生きるには、どんな力が必要でしょうか。世界中が不安な気持ちと見えない病気への恐れの中で過ごす時代だからこそ、「常に神さまのみ心を尋ね求め、真理(大切なこと、本当のこと )を考え、究める人」が必要とされていることは確かです。人は弱く、不確かで脆いものです。「自分の意見や思いは絶対大丈夫」と思っていても、激しく試されると、いとも簡単にふるわれ、揺らいでしまいます。揺るぎない土台となるような「真理」を追い求め、神のみ旨に適った道のりを探し求める、イエス様のこころを備えた子どもたちが必要だと思います。

 

 「三育」の学校の礎は、今から120年以上前に建てられた「和英聖書学校」です。その学校が建てられた時の理由(「設立ノ主意」(1898年))には、「聖書ノ真理ヲ考究ス」ること、「永遠の命に係わる教え」が必要です、と掲げられています。たゆまぬ祈りと、揺るぎない信仰を心に据えることができる人を世の中に送り出すことが、学校設立の時代から「三育」の使命なのです。

 

 旧約聖書 哀歌3章25節には、「主に望みをおき尋ね求める魂に/主は幸いをお与えになる。」と神さまは約束されています。今年度学校目標には「たんきゅう」の二つの意味を込めています。それは、「真理を探求する」、「真の智慧を探究する」です。「イエス様の心に近づき、愛に基づいた善を行い、本当に大切なこと(真理)を探し求め、本当に必要な知識や知恵を探し究める子どもたち」で在りたいからです。

 子どもたちと共に「さがし、もとめる」一年間を過ごしてまいりたいと思います。

 

 

 

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「プロティアン:Protean」

校長 平田 理

 

 

 一昨年には想像にも出来なかった新型感染症の世界的蔓延がもたらした影響は、私たちの予測や既定の枠組み、制度等をいとも簡単に崩しました。そして、この世界規模の危機に直面することで、私たち人間とって本当に必要なこと、大切なものが浮き彫りにされ、否が応でも考えさせられ、判断を迫られました。目前の危機や与えられた課題に対し、持てる能力や技術を駆使して行動を起こすことで、昨日までの自分を超える、変える姿勢が必要になったからです。しかし、誰もがその課題に挑戦して、新しい能力や技術を体得したり、問題を解決できたりする訳では無いことも事実です。この激変する時代を生きていくには、これまでとは異なった、どんな力が必要なのでしょうか。

 

 「Protean:プロティアン(変幻自在)」という考え方があります。元来、キャリア教育で利用され、「変幻自在な」「多方面の」と訳される言葉です。同一組織内に長期間留まってステップアップするようなキャリア形成よりも、自己の成長や気付きといった心理的成功を目指す生き方です。(米心理学者Douglas T Hall(ダグラス・ホール)提唱)

 

 ホール博士はこの生き方で大切になるのは、2つの能力だと言います。先ず、アイデンティティ(Identity):自分の価値観、趣味、能力、一生を通して抱き続ける自己概念。そして、アダプタビリティー(Adaptability):変化への適応スキルと適応モチベーション。言い換えれば、自分自身を過信したり、依存したりせずに、他者との共存的な関係性に於いても、変幻自在に自力を発揮できるように自分を整え、磨いていく生き方です。確かに、多くの課題や問題には、およそ自分では抗えない状況もあるでしょう。しかし、その克服できない点ばかりに囚われ、否定的な思考に陥るのではなく、自分でできることから適応させていく力、変幻自在のプロティアン思考が必要だというのです。

 

 卒業式を間近に控え、卒業式の練習を連日行っています。チャペル入場では、一人ひとりが私と瞳を離さずゆっくりと行進します。その瞳の中に、子どもたちの成長を見ています。

 6年生は、新型感染症の影響で最終学年の1年間を「忍耐」をもって過ごしてくれました。運動会もクリスマス礼拝も全学年での遠足も中止でした。沖縄修学旅行も中止になり、期間を短縮し、首都圏内での研修旅行となりました。6年生が主導する学校活動の機会も少なくなりました。それでも子どもたちは、難しい状況の中で最善を尽くそうとしてくれました。限られた中であっても実施できたことに感謝だと話してくれました。

 これから先も未曽有の経験を余儀なくされることが起こることでしょう。しかし、いまこそ希望の光を見つめて歩んでほしいと思います。

 

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙二 4章18節)

 

 ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)が作った有名な詩があります(一部抜粋)。

・・・When I bloom ㏌ the place where God has placed me,

   神様が植えられた場所で私が咲くとき、

   My life becomes a beautiful flower ㏌ the garden of life.

   私の人生は、いのちの園で咲く、美しい花になるのです。

   Bloom where God has planted you.

   神様が植えられた場所で咲きなさい。

 

 自分ばかりの為ではなく、周囲にいる誰かを幸せにするように、精一杯に美しく咲くことで存在を輝かせなさいと勧めています。学び舎を巣立つ6年生は、単なる偶然や成り行き、因果関係から6年間を過ごしたのではありません。神様の意図とご計画のうちにありました。そしてそれぞれの個性を輝かせ、美しい花を咲かせてくれました。

 子どもたちはこれからも、神様が植えられた場所で輝き続けると感謝をもって祈りながら、送り出したいと思います。

 

 「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイによる福音書5章14~16節)

 

 

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「愛を身に着ける」

 校長 平田 理

 

 

 本校では毎年、年間の学校目標を立てています。2020年度は、「こころから 善良をもとめる こども」です。

 振り返って、2017年度は「心豊かなゆるし合うこども」でした。「ゆるす」という言葉には大きく分けて3つの意味が含まれています「許す」、「赦す」、「恕する(じょする)」。

「赦す」は、罪や過ちを赦す。

「許す」は、何かをすることを認める、許可する。

そして「恕す(ゆるす)」は、思いやりの心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図ること。言い換えれば、全てのことを受け容れて、進歩させ、向上するために努力することです。

「ゆるす」には本来、固く締められたものや力を「ゆるやかにする」の意味が込められており、罪や過ち、人や事柄に寛大で、憐れみと慈しみを伴い、愛する姿勢の意味があります。

そして「ゆるしあう」ことは、先ず自分自身を受け容れ、相手を受け容れ、周りの状況を「受け容れあう」ことに繋がるのではないでしょうか。

 

使徒パウロは、

「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」(コロサイの信徒への手紙 3章12~14節)と勧めています。

 先ず、私たちが神様から選ばれ、愛されているのですから、「互いに忍び合い、ゆるし合い、愛を身に着けなさい」と言うのです。

 

 ジョ―・バイデン(Joseph Robinette Biden,Jr.)第46代アメリカ大統領は、就任の宣誓式で、バイデン家に代々伝わる聖書に手を置いて宣誓しました。大統領就任の宣誓式では、どのような聖書を使うのかが注目されます。ちなみに、トランプ前大統領は、アブラハム・リンカーン大統領が利用した聖書の上に、彼の教会学校卒業を記念して母親が送った聖書を載せて宣誓しました。

 二人は確かに聖書の上に手を置き、宣誓しました。二人とも教会に足を運び、礼拝を大切にされています。しかし、神様が示す「価値」に生きようとする「姿勢」に違いがありそうです。たとえ、『地味な』演説や生き方であったとしても、言動一致の生き方に多くの人々が心を動かされたのだと感じます。演説にあったように、互いが「力を誇示する」のではなく、「丘の上にある町」として世界中の人々の模範、品性の模範を「光」のごとく示すことが大切なのです。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(マタイによる福音書 5章14節)

「ホッとした」「普通の大統領が戻ってきた」との感想は、党派や民族といった分断を抱える、多くのアメリカ国民の率直な心情なのでしょう。

 

 謙虚であること、寛容であること、他者を尊敬すること、違いの中で共存すること。聖書の中で繰り返し示されている「価値」です。

「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマの信徒への手紙 12章9節10節)

 善に親しみ、結ばれていく。

 愛に結ばれ、努めて行う者となる。

 互いに進んで尊敬し合う。

 

 愛に偽りがない一日一日を過ごしたいと思います。

 

 

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「ひとにやさしく」

校長 平田 理

 

 

 心理学者の行った興味深い調査があります(アーメンダリッツ、他  2004年)。この調査はおよそ400名の学生に「人にしてあげた親切」と「人にしてもらった親切」をそれぞれ思い出させ、書き出させたのです。結果は「してあげたこと」35、「されたこと」1の比率で書き出されたのでした。「してもらったこと」の記憶が薄いことに比較して、「してあげたこと」は35倍も覚えていたのですから、人はおよそ「恩着せがましい」生物のようです。

 

 人との関係を豊かにするために、互いに小さな幸せを感じるためには、親切の記憶を心の中に留めるのではなく、日々新たな心持ちと共に誰かに渡し、見返りを求めない心が大切なのです。

 聖書は教えています、「…古い人はその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」(コロサイの信徒への手紙3章9,10節)

 

 在阪にある大学院入学試験問題では、漫画『宇宙兄弟』(小山宙哉 作2008年~)の中で描かれたことで世に知られる「JAXA」、あるいは「NASA」の宇宙飛行士を選抜する試験内容を参考にして出題されたことがありました。

①疲れていても他人に優しくできるか

②自分と異なった価値観や意見に、傾聴できるか

③寛容さ、知的体力、柔軟性に富む発想力があるか

④地道な作業に対する献身度が高いか

⑤局面打開のための創造性豊かな発想や発言ができるか

⑥合意形成能力:互いの能力を認知し、役割分担する能力があるか

 およそ人としてどれだけ成長し、協調できるのか、伸びしろやゆとりが大切な要素とされるのです。

 

 20年近く前に、香取慎吾さん主演の「ひとにやさしく」というテレビドラマが放映されました。ブルーハーツというロックバンドの甲本ヒロトさんの同名曲「ひとにやさしく」がタイトルに採用され、挿入歌でもありました。

『人は誰でも くじけそうになるもの ああ 僕だって今だって・・・人にやさしくしてもらえないんだね 僕が言ってやる。でっかい声で言ってやる。ガンバレって言ってやる。聞こえるかい ガンバレ!!』

 

 自分が窮地に立たされていても、疲労困憊の中にあっても、誰かを支えようとする優しさと勇気が求められる時代なのです。

 「香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。」(箴言27章9節)

 

 誰かの必要を感じとり、必要とされているところへ出向き、親切な行いと気持ちを届けられる子どもとして成長してくれるように、期待しています。

 

 「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマの信徒への手紙12章2節)

 

 

 

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「部分になる勇気」

校長 平田 理   

 

 

 コロナ禍の折、恒例の本校クリスマス礼拝や、関東一円の三育小学校・中学校と、高校・大学が一堂に会して行う・三育合同チャリティーコンサートも開催できず、大変寂しいアドベントシーズンです。例年ですと11月から多くの時間を割いて、1~2年生は降誕劇のオペレッタ、3年生以上は讃美歌や暗唱聖句の練習が盛んに行われます。

 キリスト教学校においては、この季節は特別です。イエス・キリストがこの世にお生まれになった意味を、色々なプログラムを通して子どもたちと一緒に考える季節です。

 

 牧師であり、聖書学者であった松田明三郎(まつだ・あけみろう1894-1975)の原作で、『星を動かした少女』という散文があります。

「クリスマスページェントで、教会学校の上級生たちは、三人の博士や牧羊者の群れ、

マリヤとヨセフなど、それぞれ人の眼につく役をふりあてられた。

でも、一人の少女は誰も見ていない舞台の背後にかくれて、星を動かす役があたった。

『お母さん、私は今夜星を動かすの。見ていて頂戴ねー』

その夜、会堂に満ちた人々は、ベツレヘムの星を動かしたものが、誰であるか気づかなかったけれど、彼女の母だけは知っていた。そこに少女の喜びがあった。』

 

 神学者であり、哲学者であったパウル・ティリッヒ(Paul Johannes Tillich1886-1965)は、人(キリスト者)には3つの勇気、「全体の部分として生きる勇気」、「個人として生きる勇気」、「肯定されている自分を生きる勇気」、言わば、人としての品格や勇気のようなものが必要だと説きました。そして、「勇気とは『それにもかかわらず』自己を肯定することであり、『それ』とは無と不安であるにも関わらず生きることである」と言います。

 

 クリスマスでこの少女が体験した「全体の部分として存在する勇気」は、社会の中にあって自分の存在が、意味のあるものかが分からなくなるような不安の中でも、誰かを、社会を支えるような勇気です。この感覚を抱くことができたのは、そこに母が「見ている」という確かな安心感があった他なりません。

 

 イエス・キリストは、その名が示す通り私たちと共におられ、希望、平安、喜びをお与えになるお方です。マリヤの夫ヨセフの夢に現れた天使はヨセフに次のように語りました。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」(マタイによる福音書1章23節) 「インマヌエル」はヘブル語であり、聖書(イザヤ書7章)に著された「キリスト」を示しています。

 

 「無と不安の中」にあっても、自分を見つめ、心にかけてくれる存在を知っている生き方が大切です。「見守られている」生き方は、人間として肯定されている自分を生きることに繋がります。

 

 マタイによる福音書6章6節に、「…隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところにおられるあなたの父が報いて下さる。」と、確かに見ておられる方の存在が示されています。

 

 全てのご家庭の皆様に、Merry Christmas!

 

 

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