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校長通信

「本当のハピネス」

校長 平田 理

 

 

 

 2012年以来、国連から発表されている「世界幸福報告書(World Happiness Report)」によれば、北欧諸国の人々の高い幸福度と比較すると、アジア圏、日本の幸福度は残念ながら低調との報告が「例年のように」続いています。国々の置かれている様々な局面や状況を考慮せず、幸福度を単純に比較することには無理がありますが、幸せだと感じる人々が多いことは歓迎すべきことでしょう。より良い人生、より幸せな時間を模索することは人生の充実度を引上げ、人生をより豊かなものへと導いてくれるはずです。

 

 人が幸せだ、満足だ、良い状態(ウェルビーイング)と感じるためには2つの側面が満たされる必要があると言われます。一つは、個人的な満足感、快楽感によるヘドニック・ウェルビーイング(Hedonic well-being)、そして、より社会的な達成感や充足感から得られるユーダイモニック・ウェルビーイング(Eudaimonic well-being)です。心身が健やかな状態で、社会の一員としての役割を果たし、満足感が得られるような良い状態(ウェルビーイング)で生きていければ、日常的に「幸せ」「楽しみ」を感じやすいことでしょう。しかし、多くの人は個人的感覚としての「今ここHappy」は比較的容易に短期間で感じられるのですが、ユーダイモニックな達成感を感じる「意義や意味ありHappy」には時間を要する場合が多く、なかなか感じにくい複雑な幸福感なのかも知れません。

 

 聖書の中でキリストが繰り返し説く「喜び」「幸い」は、外側から入ってくる心地良いことや嬉しいことに対する一時的な「反応」では無く、もう少し深いところにある「確信」「信念」から湧き上がる感情です。人生には耐えがたい患難辛苦に苛まれる時がありますが、そのような中にあっても、心の土台から支え、前に進む勇気を生み出してくれる根源的な「喜び」「幸い」が勧められているのです。

 

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(ペトロの手紙一 1章8-9節)

 

 今日はお天気が良くて幸せだ、人から褒めてられて嬉しい、も大切な幸福感ですし、どんな人にも必要な「喜び」です。しかし、正負に関わらず全ての感情を受け止め、慰め、癒し、励まし、力を与えられるキリストへの「信頼」「信仰」が、人に「喜びを満ちあふれ」させ、「魂の救い:本当のハピネス」をもたらすのです。

 

 

 

 

 

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「愛し、愛し抜かれた」

校長 平田 理

 

 

 

 

 12月はクリスマス礼拝やその他のクリスマスプログラムを行うため、校内では讃美歌やオペレッタの台詞を口ずさむ声が広がります。街中にもデコレーションやイルミネーションが施され、BGMもクリスマスソングが多く流れる季節です。
 この季節、時折思い起こす曲に、Nat King Cole(ナット・キング・コール 1919⁻1965)が晩年に多言語(6言語)で歌い、日本でも有名になった「LOVE」があります。
 歌の中でL,O,V,Eの夫々の文字にのせて愛の定義のような歌詞(作詞:ミルト・ゲイブラー Milton‘Milt’Gabler)がならびます。「V」では、愛は「とても桁外れ(very very extraordinary)」と表現されています。日本語訳では「ベリーグッド」と分かり易い言葉に省略されていますが、英語では、愛はとても驚くべき、非常に特別な、現代風では「ハンパない」心情であることを伝えてくれます。

 牧師の父と教会オルガニストの母に育てられたナット・キング・コールは、当初、ピアノで才能を開花させますが、何気なく歌った声にも注目が集まり、米国では黒人歌手として初めて、「人種の壁」を越えて、一世を風靡するスターにまで上り詰めます。数多くの名曲を歌い上げた彼が人生の最後に多くの言語で届けた歌は「愛」の本質を問う内容でした。


 聖書には

「・・・世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」

(ヨハネによる福音書13章1節)

と、イエス様の弟子たちに対する非常に強い愛情表現があります。この言葉は、十字架刑に向かう直前にイエス・キリストが弟子たちのひとり一人の足を洗い、互いに謙遜で、互いに愛し合うことを繰り返し説いた時のものです。イエス様は十字架の死をも厭わない「桁外れの」愛を弟子たちに注がれたのです。そしてその愛は弟子たちばかりか、全ての人に対しても注がれていることを聖書は教えています。


 学校で子どもたちが朝ごとに暗唱するミッションステートメント「わたしたちは・・・互いに愛し合い、互いの必要を満たし・・・」にある「愛」はイエス様の「Very Very Extraordinary」の愛を心に刻み、その愛に答えるためなのです。

 私たちは、クリスマスの季節だからこそ、この「愛し、愛し抜かれた」愛を思い起こし、イエス様から愛されている喜びを広げるために、ひとり一人が行動を起こす必要があります。

 

 

 

 

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「小さな平和への情熱」

校長 平田 理

 

 

 

 

 今年のノーベル平和賞は「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が受賞し、核廃絶への長年の取組みや姿勢が再注目され、評価されています。授賞理由の背景には、核兵器利用の危機を意識せざるを得ない差し迫った状況がウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区、レバノン、イランへと広がりつつあるからと言われます。被団協の活動を長く支えてきた代表委員、田中熙巳(92)さん、箕牧智之(82)さんらは「ガザの子どもたちと原爆孤児が重なった」「この受賞はスタートだ」世界のこの状況は「全人類が被害者候補になっている」と危機感を募らせたコメントを出しています。

 イラク出身のナディア・ムラド(2018年ノーベル平和賞受賞者)は、レバノン出身のアマル・クルーニー弁護士と共に、イラクでの小さな平和と人権を取り戻すために、地域に住む女性への職業訓練や社会的地位向上のために活動を続けている人権活動家です。紛争地や戦禍での人権蹂躙、ジェノサイド(大量虐殺)の撲滅を目指して、自らの体験を語り、支援を続けています。故郷の女性の窮状を改善するために、二人の女性は、自分たちのできることを駆使して発言し、支援し、協力を広げ、小さな平和を取り戻す活動を進めているのです。(アマル・クルーニーは人権擁護活動に取り組む国際弁護士で、ハリウッド映画スター、ジョージ・クルーニーの妻、双子の母親)

 クルーニー弁護士はムラド女史を「この時代にふさわしいリーダーで、美しい魂の持ち主」だと賞賛しましたが、ノーベル賞受賞のように社会的な評価を受け無くとも、多くの地域、社会、国々で小さな平和を取り戻すために日夜、情熱をもって奮闘し、活動している「美しい魂」を持つ人々の存在を忘れてはなりません。

「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようになりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。」不正な法律や体制、暴力や理不尽な差別に対して、「愛すること」で対抗すると述べた、マルティン・ルーサー・キング牧師の言葉を胸に刻みたいのです。平和や幸福が簡単に脅かされる時代に生きる私たちひとり一人も、小さな平和への情熱を新たにしたいものです。(『キング牧師の言葉』コレッタ・スコット・キング編より)

 

 

 

 

 

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「必要に応える」

校長 平田 理

 

 

 

 オリエンタルカーペット」(1935年創業)は、山形緞通(絨毯)を今に伝える織物工場です。東北は、明治以降染め物や織物が盛んな地域ではありましたが、度々襲った冷害凶作によって農業ばかりか、関連産業も大不況に陥りました。特に女性の職場は限定され、「身売り」を余儀なくされる家庭も多かったようです。

 当時、木綿織業を営んでいた創業者 渡辺順之助は地域再生と振興を旗印に、前身となる絨毯工房を起業します。当時としては奇想天外な、中国北京から技術者を招聘して絨毯づくり(緞通織り)を学び、羊毛を原料とした緞通技術の導入に成功しました。更には女性の働き場所を創出し、少しずつ地域経済や家計にも潤いをもたらす産業に発展させたのです。現在も利用されている工房社屋は、驚くべきことに渡辺氏が独学で設計した昭和初期の木造建築ですが、外壁の塗装は淡いピンクをあしらったモダンな印象で、窓ガラスが多用されて内部も明るく清潔です。女性が安心して働きやすい環境を提供したかったからだそうで、職人たちには早くから制服も支給されたと云います。女性の職場環境を改善するために向けられた、渡辺氏の文化的な眼差しや先見性に驚きましたし、「誰か(女性たち)の必要に応える」ための発想力と行動力に感銘を受けました。

 優れた資質を備えていた職人たちの懸命な努力は、工房を地域有数の企業に押し上げたばかりか、国内外の著名な建築施設や宮内庁、公的機関に納品するまでに成長させました。製品には藤田嗣治(レオナルド・フジタ)、シャルロット・ペリアンなどの世界的に高名な芸術家が図案を提供し、戦後も吉田五十八、吉村順三、谷口吉郎、丹下健三らの錚々たる建築家と協働し、近年でも佐藤可士和、皆川明、千住博らとコラボレーションするなど、繊細な手仕事と確かな技術による製品は美術工芸品の域に達すると評されます。

 

 聖書は「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい」(コヘレトの言葉9章10節)に続き「賢者の静かに説く言葉」について述べています。競争や戦いに勝つ人は必ずしも強者ではなく、富や知識があっても好意を持たれるとは限らず、時に知恵は軽んじられるが、賢者が静かに説く「知恵は武器に勝る」と言うのです。戦前、戦中、戦後を通じて東北の振興を願い、女性の就労を心から支援し、熱心に力を尽くした渡辺氏の「静かに説く言葉」は、時を経ても「賢明な知恵」だと感じました。

 

 

 

 

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「職分:すくぶん」

校長 平田 理

 

 

 

 

 「すくぶん」という沖縄のことば(しまくとぅば)があります。「職分:すくぶん」は、使命や責任を意味する言葉ですが、いつの時代も、困難な状況にあっても責務に忠実な人がいて、その仕事や領域の礎を築いて来られたことがわかります。

 

 「沖縄のナイチンゲール」と称された、眞玉橋ノブ(まだんばしノブ:1918⁻2004)さんの戦中、戦後の働きを伝える絵本「すくぶん」を読みました。第二次大戦の激戦下で、沖縄のひめゆり学徒隊の女学生たちを率いて南風原壕内の病院を切り盛りした看護師です。戦後の沖縄は、戦争でたくさんの医師や看護師を失ったため、看護や医療をゼロから立て直す必要があり、奇跡的に命を取り留めた眞玉橋さんたちは、沖縄県下の看護教育や病院の医療活動再開のために力を尽くしました。とりわけ、東西1000㎞を超える離島の保健医療には多くの人材派遣が必要でしたから、米国政府や日本政府への派遣要請や法改正のために奔走され、多くの人々の命が救われました。

 

 1985年5月、看護師に与えられる世界最高の栄誉賞「フローレンス・ナイチンゲール記章」が沖縄出身者では初めて眞玉橋ノブさんに贈られ、沖縄の看護や保健、医療の歴史に光を加えました。

 

 4月から沖縄の平和学習を積み上げて修学旅行に参加した6年生は、戦争の爪痕が深く残る現地での見聞を通じて何を感じ、何を心に留めてこれからの人生を歩んでいくのでしょうか。終戦から79年の歳月が流れましたが、「戦後」とは言い切れない、「平和」で平穏な日常が戻ってきたとは言い難い現状を忘れてはなりませんし、知らないふりはできません。夫々が人生の歩みを進める中で、置かれた状況の中で最善や最適を考え続けて、自分が担うことができる平和を為し続ける生き方、「すくぶん」を目指して欲しいものです。

 

 「Vocation:ヴォケーション」は一般的には職業を意味する英語ですが、「(神様からの)声:voc」+「にする:ate」「こと:ion」という語の構成から「神様から告げられたこと」という意味もあり、しばしば「召命」とも訳されることが多い言葉です。将来、どんな仕事に就くとしても、それが神様から与えられた「職業:天職」であり、ひとり一人が神様からの「召命」に応えて、与えられた人生や時間を用いる「使命」に生きることが大切なのです。人は誰でも、生まれた時から役割や使命を与えられています。あなたの「すくぶん」はなんですか?

 

「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(コリントの信徒への手紙一15章58節)

 

 

 

 

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