「善良をもとめる」
校長 平田 理
皆様いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスは残念ながら、前回校長通信を掲載した3月18日よりもさらに拡大し、東京都においては緊急事態宣言が出されるまでとなりました。本校は2月29日の臨時休校措置から5月7日の新学期始業まで、全校児童が一堂に会することはありません。
3月の暖かさで下旬にはソメイヨシノが満開となりました。現在グランドはソメイヨシノの花びらがじゅうたんとなり、その上では八重桜が満開を迎えています。例年ですとこの桜の木の下で、新1年生とご家族が入学の記念撮影をなさいます。今年は教職員のみが、満開の桜と桜吹雪の様を眺めることとなり、なんともさみしい新年度の始まりになりました。
この度の学校の緊急事態対応で、児童と保護者の皆様には大きなご負担となっていることと思います。しかしながら、大人と子ども、ご家庭と学校の信頼関係を通じて、困難な問題に向き合うことが大切だと考えます。私たちの未来を託す世代に、如何なる事態に遭遇しても、人と人、社会と社会、国と国の信頼と協力が大切であることを伝えたいと願っています。
2020年度学校目標を、『こころから ぜんりょうを もとめるこども ~良心に忠実で、善を求めるこども~』としました。
これからの時代は、「良識」ある人が重要な役割を果たすと言われています。社会の改革や多様化が急激に起こることで、様々な変化や歪み、周囲の喪失や崩壊にも心を配る「良識」ある人が大切なのです。変化や変革に適応できる人ばかりが利益を得て、効率至上主義で、適応できない人、非効率な人は排除される社会では、継続的な成長は望めないからです。誰にでも居場所があり、適応できる可能性があるはずです。一人ひとりの弱みも強みも含めて引き受け、各々の価値と必要を認める感覚が大切です。使徒パウロは、「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払」える人(フィリピの信徒への手紙2章4節)、「善を行い、良い行いに富み、…喜んで分け与える」(テモテへの手紙Ⅰ 6章18節)人が必要だと説きます。自分のことばかりでなく、周囲の人々の痛みや悲しみにも心を配り、本当の良識(decency)と品性(dignity)を備える人が、至るところで求められるのです。
しかし、人が「善」や「良識」を求める姿勢は、時に誰かを傷つけてしまうのです。ですから、パウロも「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」(使徒言行録24章16節)と、自分のなかにある不正直、不誠実、打算、ごまかし、怠惰などから離れる必要があり、自らの良くない思いと行いを「良心Conscience」に近づけるように絶えず努めると記しています。
新約聖書が言う「良心」の原語ギリシャ語の意味は、英語「Conscience」にも反映されていて、「共にCon」と「知るScience」の組み合わせで「共に知る者」、つまり、自分の傍にあって自分の想いや行動を見つめ、共に知っている存在「もう一人の自分」の意味が含まれます。パウロは良心に従うことを「神に対しても」、「神の前で生きてきた」(使徒言行録23章1節)と表現していますから、「もう一人の自分」は常に傍にいて、見て、感じ、行う存在、自分を「共に知る」神様のまなざしと感じているのです。
「ぜんりょうをもとめる」子どもたちが、神様の慈しみと恵みのまなざしの中で、最良の選択をし、良心を求め、それに従って行う人として、ますます成長されることをお祈り致します。
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。