「善く用いる」
校長 平田 理
新しい学校生活を始めた1年生のお世話は、6年生が担当することが伝統になっています。児童玄関のお出迎え、教室での着替えや整理整頓など「おにいさん」「おねえさん」たちの奮闘も微笑ましい光景です。少し前の自分自身の追体験のような時間なのかも知れません。
今年は新型コロナウイルス感染症拡大予防のために、6年生にお世話をしてもらうことができませんでしたが、お昼休みには1年生と6年生が一緒に遊ぶ姿が見られ、1年生に合わせた遊びをしてくれています。担当の1年生の手を引きながら、「わたしの人生で最高に幸せな時間かも知れない!」と、やや大袈裟にも聞こえる感想を述べ、最高の笑顔を見せてくれる6年生の心の在り様に、こちらも嬉しい、幸せな気持ちのお裾分けを頂いています。
『良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである。』近世哲学の祖として知られる、ルネ・デカルト(Rene Descartes 1596 - 1650)が初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)においての冒頭文に示した言葉だそうです。ここでいう「良識」とは、最も公平に与えられている知性や知識を、自分以外の誰かのため、より良いことを為すために分かち合う精神とも言えます。
更に、デカルトは『よい精神(良識)を持つというだけでは十分ではないのであって、よい精神(良識)をよく用いることが肝要だ。』とも記しました。私たちに備えられた、優れた知性や知識は人を正しく導きもすれば、悪巧みに役立ちもします。豊かな感性は人を励まし、支えもすれば、貶め、辱めもします。だからこそ、それらをいかに「善く用いる」かが問題だと言うのです。
聖書は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ。」(申命記6章5節)、同じように、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。」(レビ記19章18節)と勧めます。
子どもたちばかりか、大人も、天から「公平に与えられた良い精神」を善良に保ち、隣人に対しても善良に用いる生き方を心がけたいものです。
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