「チムグクル 肝心」
校長 平田 理
例年ですと、「沖縄慰霊の日」の後の6月下旬から、6年生の修学旅行(3泊4日)で沖縄県を訪ねます。平和学習と系列学校交流、歴史や文化探訪の機会としても学びが大きい時間です。しかしながら今年は延期となっており、最終学年の集大成として実施できないものかと、祈りのうちに模索しているところです。
昨今、平和を祈念せざるを得ない状況が続いていますが、戦後70年以上を経てもなお、基地移設問題を中心とする「不平等な戦後処理」に翻弄される沖縄県民の心情を察すると心が痛みます。私たちは、いかなる状況であっても「戦争」という蛮行に抗うため、過ちを繰り返さぬため、個人としても、国としても平和を創り出す努力が必要です。
沖縄の方言(ウチナーグチ)に「チムグクル」という言葉があります。標準的な意味に言い換えると本来の意味から離れてしまいますが、「肝心 チムグクル」とは「人の心に宿る深い思い」、「心からの思いやり」を意味している言葉のようです。衷心から相手を思いやり、全身で痛みや悲しみを受け止めることが、沖縄の人々が大切にしてきた「チムグクル」です。しかし、現在の沖縄が置かれている状況は、この「チムグクル」を、よりによって同胞である「本土の人々」からも踏みにじられているかのようです。
戦争に勝者はいないと言われますが、お互いを本当に思いやる関係を望むならば、痛んだ心や悲しむ心を深く慮る「チムグクル」をあらためて心に刻み、その痛みを分け合い、ゆるし合うことが、全ての人に求められているのです。
使徒パウロは「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソの信徒への手紙 4章32節)と勧めます。
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