「愛を身に着ける」
校長 平田 理
本校では毎年、年間の学校目標を立てています。2020年度は、「こころから 善良をもとめる こども」です。
振り返って、2017年度は「心豊かなゆるし合うこども」でした。「ゆるす」という言葉には大きく分けて3つの意味が含まれています「許す」、「赦す」、「恕する(じょする)」。
「赦す」は、罪や過ちを赦す。
「許す」は、何かをすることを認める、許可する。
そして「恕す(ゆるす)」は、思いやりの心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図ること。言い換えれば、全てのことを受け容れて、進歩させ、向上するために努力することです。
「ゆるす」には本来、固く締められたものや力を「ゆるやかにする」の意味が込められており、罪や過ち、人や事柄に寛大で、憐れみと慈しみを伴い、愛する姿勢の意味があります。
そして「ゆるしあう」ことは、先ず自分自身を受け容れ、相手を受け容れ、周りの状況を「受け容れあう」ことに繋がるのではないでしょうか。
使徒パウロは、
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」(コロサイの信徒への手紙 3章12~14節)と勧めています。
先ず、私たちが神様から選ばれ、愛されているのですから、「互いに忍び合い、ゆるし合い、愛を身に着けなさい」と言うのです。
ジョ―・バイデン(Joseph Robinette Biden,Jr.)第46代アメリカ大統領は、就任の宣誓式で、バイデン家に代々伝わる聖書に手を置いて宣誓しました。大統領就任の宣誓式では、どのような聖書を使うのかが注目されます。ちなみに、トランプ前大統領は、アブラハム・リンカーン大統領が利用した聖書の上に、彼の教会学校卒業を記念して母親が送った聖書を載せて宣誓しました。
二人は確かに聖書の上に手を置き、宣誓しました。二人とも教会に足を運び、礼拝を大切にされています。しかし、神様が示す「価値」に生きようとする「姿勢」に違いがありそうです。たとえ、『地味な』演説や生き方であったとしても、言動一致の生き方に多くの人々が心を動かされたのだと感じます。演説にあったように、互いが「力を誇示する」のではなく、「丘の上にある町」として世界中の人々の模範、品性の模範を「光」のごとく示すことが大切なのです。
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(マタイによる福音書 5章14節)
「ホッとした」「普通の大統領が戻ってきた」との感想は、党派や民族といった分断を抱える、多くのアメリカ国民の率直な心情なのでしょう。
謙虚であること、寛容であること、他者を尊敬すること、違いの中で共存すること。聖書の中で繰り返し示されている「価値」です。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマの信徒への手紙 12章9節10節)
善に親しみ、結ばれていく。
愛に結ばれ、努めて行う者となる。
互いに進んで尊敬し合う。
愛に偽りがない一日一日を過ごしたいと思います。
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