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「うんとかんがえる」

校長 平田 理

 

 

 

「わたしはスイミーについて書きたいと思います。わたしはスイミーをよむのが大すきです。なぜ、すきかというと、スイミーはとても頭がよいと思ったからです。さいしょは、スイミーだけ黒くてとてもかわいそうだと思いました。でも、一人のこされても、ほかのなか間をつくってさいごに大きな魚をおい出したところが、すごいと思いました。大切なところは、うんとかんがえるところだと思います。わたしも、うんとかんがえてかしこくなりたいと思います。」(2年生女児 原文まま)

 

「スイミー」の授業内感想文です。短文の中に、自分の考えをよくまとめています。2年生国語教材として長年用いられる「スイミー」ですが、「うんとかんがえる」ことに注目した児童の感性に感心します。

 

 幼い時から「思考力」を鍛えることは大切な要素です。思考する力を身に着けるには、問い、悩み、失敗し、悔しい思いを抱き、達成の喜びを味わい、創造力や共感力を刺激する体験が必要です。自分自身で「うんとかんがえる」ことの中で、その考えを「誰か」と分かち合うことの意味や違いも学ぶのです。英語の「思いめぐらす、熟考する:speculate」ことの語源は、ラテン語「speculum:鏡」とされます。人は鏡を見ながら、服や寝ぐせを直し、鏡に映る自分の表情から、その日の気分さえも確認します。鏡が映し出す自分自身を見つめ、振り返り、「うんとかんがえる」のです。自分自身に対する視線や自意識を大切にする一方で、他者からも「良く思われたい」「価値ある」存在になりたいと願うのです。人は人間らしく、より良く成長するように、自分自身を見つめ直すように、創られているのです。

 

 世の中には、いくら考えても答えや解決が与えられない問い、課題があります。しかし、「うんとかんがえる」ことで、異なった視点や答え、解決につながるような考えの糸口が見えてくることがあるはずです。

 

 聖書は、『神と共に知恵と力はあり 神と共に思慮分別もある。』ヨブ記12章13節、『主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。』詩編111編10節 と、「うんとかんがえる」ことを神様に祈り続けることが、思慮分別を確かに身に着ける近道だと説きます。

 

 

 

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