「道の光」
校長 平田 理
沖縄県の八重山諸島 石垣島はアオウミガメの繁殖地として有名です。このウミガメの産卵や孵化には不思議なことが多いそうです。ウミガメは大潮と満月が重なる時に産卵のために陸に上がります。ウミガメは眼が悪いので、月光をたよりに大潮の波を利用して、海からできるだけ遠く離れて上陸し、波が届きにくい場所で産卵します。そして波を利用して海に帰ります。およそ2か月後に孵化する時も同様に、満月の前後の夜が多いと言われます。小さなウミガメたちは、やはり海に戻り易い大潮の波を利用し、月光を利用して海を目指すとのことです。ウミガメが、大潮と満月の時に産卵したり、孵化したり、砂から出たりできるのは、満ち潮の波音を聴き分け、月の引力を感じる力を備えていると考えられています。
しかし、残念なことに自然界ではなく、ウミガメが命を落とす危険があります。人間の生活に必要な電気の光です。頻繁に行き交う車のライト、海岸近くの街路灯、信号機、ビーチハウスの光などは、満月の光に勝る明るさで浜辺を照らし、夜間の明るい生活を支えます。しかし、ウミガメにとっては、頼りの月明りを惑わす「偽物の月光」なのです。明るさを間違えて道路を渡り、宅地に近づき、海に帰れずに命を落とすことになります。
携帯電話や情報通信技術の革新は目覚ましく、10年前は「大昔」になるほど、次々と新しいことが溢れてきます。「情報モラル教育」で行動規範やルールを教え、利用制限をかけても、子どもの不適切な利用や問題視されるネット利用は減りません。ICT社会の様々な課題の中にいる子どもには、知識や操作技術(スキル)にも増して、法律やモラルを尊び、社会的な責任を担う「良識ある品性:Dignity」が必要です。ですから、自らの思考と選択で行動の善悪を判断し、適切な行動規範でIoTを利用する、「デジタル・シチズンシップ」を身につけさせたいのです。
度々失敗を繰り返しながら、神様に従い続けたダビデ王は、『あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。』(詩編119編105節)と告白しました。如何なる名誉や権力、技術や情報を手に入れたとしても、適切に利用しなければ目的や目標、光を見失います。「道の光」を見失うことは命の危険にさらされることにもつながります。如何なる時にも「命の光」を自ら探し求める子どもが必要なのです。
「命の光」は聖書ではこのように記されています。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8章12節)
「不可能」は英語で“Impossible”です。しかし、be動詞の接語形で用いるアポストロフィ ’ を用いたとき、“ I'm possible.”「わたしは可能です」となります。アポストロフィを例えて、私が神様に、天に、委ねることができたら、導きを与えられ、可能となるのです。
三育で学ぶ子どもたちには、このようであってほしいと願っています。
コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
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