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「闇を照らす光」

校長 平田 理

 

 

 

 新しい一年にはどのような時間が流れ、風が吹き、どんな景色が見えるのでしょうか。

 

 『昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。』今や、国内ばかりか世界的に評価が高い、村上春樹氏のデビュー作「風の歌を聴け」(1979年)に収められている一文です。この小説の時代設定は1970年夏ですから、自らの青春時代が重なり、読後には妙な納得感を覚えた記憶があります。

 確かに、人生には深い真っ暗闇のような時間もあれば、昼の光のごとく、眩いばかりの光あふれる時間もあります。深い「夜の闇」を知らずに生きる人もあれば、暗闇から抜け出せる人も、そこから抜け出せずにもがき続ける人がいることも事実です。更に、暗闇を経験しなければわからないこと、その立場からしか見えない景色や価値もありますから、この呟きは「夜の闇」の深さを言い当てているのでしょう。

 打算、ごまかし、不正直、不誠実、怠惰、ねたみ・・・「夜の闇」は人の核心、人の本性を表現しているのかも知れません。深い真っ暗闇にあるものは普段は見えませんが、時に顔を出し、自分自身を傷つけるばかりか、誰かに痛みを与えるのです。更に残念なことに、この暗闇は大人ばかりか幼い心の中にも、小さな暗い影を落とします。

 

 聖書には「暗闇」を照らす光が登場します。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8章12節)「わたし」はイエス・キリストです。興味深いことに、ここでは光によって「暗闇が無くなる」のではなく、光が「暗闇」を照らすことで歩けるようになり、進むべき方向を照らすと、示されています。私たちの周囲には暗闇のような、見えない、分からない、抜け出せない問題や時間がありますし、ましてや心中の暗闇は誰にもわかりません。聖書はそれを否定していません。むしろ、その暗闇があることが前提で、光の大切さとその光線によって照らされる結果を示しています。

 「夜の闇の深さ」を理解し、寄り添い、明るくする「昼の光」があるのです。イエス・キリストに従うことで「夜の闇」も光に照らされ、命の光を持つ人生へと変えられていくことが約束されています。

 

 「そのいのちは暗闇の中でさんぜんと輝いていて、どんな暗闇もこの光を消すことはできません。」(ヨハネによる福音書1章5節 リビングバイブル)

 

 

 

 

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