「You made my day ちょーうれしい」
校長 平田 理
担任の代役で時折、教壇に立つ機会があります。子どもたちの表情を眺め、掲示物や作品、文章を楽しみ、課題再提出や未提出者の名簿に目を凝らし、子どもたちの会話に耳を大きくします。「しあわせクラス」と記された箱が目に留まりました。学級の意見箱でしょうか、中身までは確認しませんでしたが、教室の「うごき」や「思い」がみえるような気がしました。うれしかったことや悲しかったこと、誰かへの苦情、意見、お願い、時には誰かの悪口や傷つける内容までが投書されるかも知れません。それらも含め「しあわせクラス」を目指す過程なのでしょう。誰かの良いところを誉めたり、痛みに気づいたりすることで自分以外の人への距離や感情の保ち方を学ぶ機会にもなるでしょう。
車、飛行機、船などの製造業「Honda」の宣伝で「きょうだれかをうれしくできた?❤」のコピーを観た時に、2学期始業式で提案した「だれかをハッピーにする日を増やす」が重なり嬉しい気持ちになりました。何らかの行いが、声かけが自分以外の人の幸せな気持ちや喜びを創り出せたとしたら、誰もが「ちょっとうれしい」のではないでしょうか。自分の気持ちや想いを誰かに向けることで、「届く」「伝わる」という意味で、宣伝文の❤印は横を向いているのだそうです。
「You made my day」は、誰かに幸せな気分にしてもらったときに使うフレーズです。やや大げさに「あなたは私の一日を幸せにしてくれた」の意味が込められ、子どもたちの「ちょーうれしい」に当たるでしょうか。私たちは誰かのうれしいを意図的に届けることもできますし、思いがけずに相手が喜びや幸せを感じ取ってくれる時がある一方で、裏腹な思いをさせてしまう弱さを抱えています。
聖書には「だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人(神様)に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。」(テモテへの手紙Ⅱ 2章21節)とあります。無用な競争心、嫉妬心、意地悪な気持ちから離れて清められ、貴いことや善い業のために備えられた器、「幸せと喜びを運ぶ器」になることが薦められています。自分が幸せにしてもらうことは嬉しいことですが、同時に、誰かの幸せや喜びを届けることに「うれしいの源」が潜んでいることを教えてくれます。
皆さんは「きょうだれかをうれしくできた?」
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。