「WWJD?:私淑」
校長 平田 理
3学期が始まりました。寒さが続いていますが、半そで半ズボンで元気に活動する子どもたちです。短い3学期ですが、まとめの学期として子どもたちが大きく成長する時期です。新しい学年・進学に向けて良い準備の期間となるよう寄り添っていきたいと思います。
昨年のサッカーワールドカップ・カタール大会での日本の躍進は世界に衝撃を与え、アジア諸国の活躍とサッカー先進国や伝統国の敗退が衝撃と共に報道されました。多くの若い日本代表選手たちが物怖じすることなく強豪たちと対峙し、時には凌駕する活躍を観ると「W杯初出場」を待ち望んだ世代には隔世の感があり、確かに「新しい時代」を見せて頂きました。
校庭においても、この活躍を受けてサッカー熱が広がり、子どもたちの歓声が響いています。「俺は三苫選手のマネ」「じゃ、僕は堂安選手」「私は吉田選手」次々とお気に入りの選手の名前を連呼しながら、ボールを蹴っています。見よう見まねでフェイントをかけ、シュートし、ガッツポーズはさながら「ものまね大会」です。サッカー選手への憧れと共に「〇〇選手だったら、きっとこうプレーするに違いない」と、「まね」を繰り返し遊んでいます。
誰もが様々な「お手本」に影響を受けているのではないでしょうか。走り方、蹴り方、投げ方、握り方、道具の使い方、言葉遣いや振る舞いまで、少なからず「だれか」の影響を受けています。身近な家族や出会った友人、先生、時には本や映画が「お手本」として影響を与えるのです。
「What would Jesus do?:WWJD?(イエス様ならどうする?)」というキリスト教では良く知られる英語の慣用表現があります。様々な判断や決断をする場面で自問自答するのです。「模範:モデル」のイエス様だったらどうするのだろう?と自らの考えや思いの基準とするためです。孟子の残した「私淑」も同様の意味です。直接、師や模範からの教えは受けられずとも、秘かに尊敬し学び、その教えや心を獲得していく姿勢です。イエス・キリストを直接知り、模範とできた弟子は少なかったのですが、その弟子たちから教えを受けた多くの人たちがキリストを知り、「キリストに倣う者」(コリントの信徒への手紙一 11章1節)になったことによりキリスト教は世界に伝播されました。
私たちは日毎の大小の判断や決断の延長に生き、歩むのですから、時に立ち止まって、「これで良いのか」「WWJD?」と静かに問い、それぞれの「新しい時代」に向けて、時を積み重ねることが大切ではないでしょうか。
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