「感謝と喜び:身にまとうもの」
校長 平田 理
新しい一年を迎えましたが、早々に自然災害や航空機事故が続き、多くの皆様の悲しみと痛みが増えてしまいました。被災者やご遺族には慰めと励ましを、支援や救援の任務に就く皆様の健康と安全を祈らずにはいられません。
更に全てにおいて明るい兆しを探し、多くの皆様が、社会が、世界が感謝と喜びの光を受けられるように心から願います。
和装(着物)は日本の伝統文化の一つです。「少なくとも1800年間も着られた民族衣装」とのことですが、現在、素晴らしい文化遺産としての魅力や支持はあるものの、日常的に利用される方は少ないです。帯締めや衣服管理に時間と手間がかかることや、明治以降の生活様式の激変が敬遠される最大の要因でしょうか。しかし、成人式や結婚式の礼装や正装、更には喪服(不祝儀)として特別な機会に着用されますし、袴や白無垢、黒留袖や振袖などの形(袖の長さ)や色づかい(模様や紋)で特別な意味を含ませるのが和装でもあります。更にお正月の晴れ着や夏場の浴衣は風物詩ですから、着用している人自身の気持ちも然ることながら、その場や空間に少なからず影響を与えます。
一方でまとっている人の雰囲気や仕草も気になります。衣服が醸し出す空気感も大切ですが、着物に込められた意味に相応しい姿勢や態度を身に着けておかなければ、外見ばかりの「借りてきた衣装」になりさがります。
翻って、自分の醸し出す雰囲気や生活態度が周囲に与える影響は如何なるものでしょうか。聖書にはキリストに倣う人の日常生活の指針が、使徒パウロによって具体的に記されています(コロサイの信徒への手紙3章12~17節)。
わたしたちは、先ず神様に選ばれ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け、キリストが模範を示して下さったように、忍び合い、赦し合い、すべての絆の源である愛を身に着けよ、と勧められています。人はひとりで雰囲気を醸し出してみたところで、自分の存在意義を見出せません。他者が受け入れ、感じ、認められることで初めて肯定され、人と交わることによって教え合い、諫め合い、励まし合い、絆を結び、関わりを深めるからです。
人は祈ることが許されていますから、どんな時にも「感謝の念を抱き」、キリストの言葉を「喜んで実践」できれば、周囲に良い影響を広げるばかりか、「あらゆる人知を超える神にある平和が・・・心と考えを守る」(フィリピの信徒への手紙4章7節)と約束されています。
「感謝と喜びをまとう子ども」たちの成長を応援する一年にしたいものです。
学校紹介「校長挨拶」はこちらをご覧ください。