「心の貧しい人:豊かさを知る」
校長 平田 理
ある裕福なご家庭のお話です。
両親は子どもたちに物心両面で、何不自由なく過ごすことができるように腐心し、あらゆる領域の教育にも熱心に取り組んでおられた様子です。ある時、本当の理解に至るには、やはり体験的な学びが大切と考え、自分たちが如何に恵まれ、豊かな生活ができているかを知る旅行に出かけました。最貧国と言われる国々町々に滞在し、農家でも数日間過ごし、旅行を振り返りながら質問しました。
「どうだった?豊かな生活が当たり前になっているけど、貧しい人たちは大変な生活をしているって、よくわかったでしょ?」
子どもたちは
「うん、よくわかったよ。」
「どんなことがわかったんだい?」
「僕たちの家にはトイプードルが1匹。あの人たちの家には犬が5匹、猫も5匹、ウサギとニワトリと牛と馬もいたよね。家にはプールがあるけど、あそこのきれいな川と滝は最高だった。家では夜になると電気がついて便利だけど、あそこでは月明かりと見たことが無いようなきれいな星空で光ってた。うちの冷蔵庫にはたくさんの食べ物が入ってるけど、あの人たちは野菜や果物、たくさんの作物をつくって食べてた。家には安全のためにおおきなフェンスがあって外から見えないけど、あのひとたちは鍵もかけないけど、お隣さんが見守ってくれてるって。家には大きな50型のスクリーンがあるけど、あの人たちは夜遅くまでお友達と話して楽しそうに笑ってたよ。」
「おとうさん、おかあさん、旅行はとっても楽しかったよ。・・・そして、うちは結構、貧しいんだって良くわかったよ。」
両親は絶句しました。
この旅行の目的は十分に伝わりました。本当の豊かさは物質的な豊かさだけでは無いこと、感謝と喜びをもって生きること、思いやりや親切が人を繋ぐこと、心を満たすものによって豊かさの意味が変わることを学ぶ旅行になったのです。
豊かさを享受して久しい日本は、本当に豊かな国、豊かさを備えた人として生活できているのか疑問に感じる時があります。いとも簡単に人の尊厳や命が脅かされ、あらゆる権威や権利が揺らぐ時代を生きている子どもたちには、真の豊かさを知る人として生きて欲しいと願います。
聖書は「心の貧しさ」(マタイによる福音書5章3節)に気づき、受け入れるように説きます。
心の貧しさとは、自分の弱さと虚しさを認めることです。心の豊かさにつながる愛、憐み、寛容、情けに乏しいことを認め、本当の豊かさを与えて頂きたいと願うことなのです。更には、貧しさを知る人に「天国はその人たちのもの」だと約束されている、だからこそ「幸い」なのです。
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