「必要に応える」
校長 平田 理
オリエンタルカーペット」(1935年創業)は、山形緞通(絨毯)を今に伝える織物工場です。東北は、明治以降染め物や織物が盛んな地域ではありましたが、度々襲った冷害凶作によって農業ばかりか、関連産業も大不況に陥りました。特に女性の職場は限定され、「身売り」を余儀なくされる家庭も多かったようです。
当時、木綿織業を営んでいた創業者 渡辺順之助は地域再生と振興を旗印に、前身となる絨毯工房を起業します。当時としては奇想天外な、中国北京から技術者を招聘して絨毯づくり(緞通織り)を学び、羊毛を原料とした緞通技術の導入に成功しました。更には女性の働き場所を創出し、少しずつ地域経済や家計にも潤いをもたらす産業に発展させたのです。現在も利用されている工房社屋は、驚くべきことに渡辺氏が独学で設計した昭和初期の木造建築ですが、外壁の塗装は淡いピンクをあしらったモダンな印象で、窓ガラスが多用されて内部も明るく清潔です。女性が安心して働きやすい環境を提供したかったからだそうで、職人たちには早くから制服も支給されたと云います。女性の職場環境を改善するために向けられた、渡辺氏の文化的な眼差しや先見性に驚きましたし、「誰か(女性たち)の必要に応える」ための発想力と行動力に感銘を受けました。
優れた資質を備えていた職人たちの懸命な努力は、工房を地域有数の企業に押し上げたばかりか、国内外の著名な建築施設や宮内庁、公的機関に納品するまでに成長させました。製品には藤田嗣治(レオナルド・フジタ)、シャルロット・ペリアンなどの世界的に高名な芸術家が図案を提供し、戦後も吉田五十八、吉村順三、谷口吉郎、丹下健三らの錚々たる建築家と協働し、近年でも佐藤可士和、皆川明、千住博らとコラボレーションするなど、繊細な手仕事と確かな技術による製品は美術工芸品の域に達すると評されます。
聖書は「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい」(コヘレトの言葉9章10節)に続き「賢者の静かに説く言葉」について述べています。競争や戦いに勝つ人は必ずしも強者ではなく、富や知識があっても好意を持たれるとは限らず、時に知恵は軽んじられるが、賢者が静かに説く「知恵は武器に勝る」と言うのです。戦前、戦中、戦後を通じて東北の振興を願い、女性の就労を心から支援し、熱心に力を尽くした渡辺氏の「静かに説く言葉」は、時を経ても「賢明な知恵」だと感じました。
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