2026.03.02
NEWS
祈祷週は学期ごとに行われ、わたしたちの学校が大切にしている行事の一つです。
特に3学期は、卒業祈祷週として、卒業を前に6年生全員が小学校6年間の歩みを振り返り、神さま、聖書、先生や友達との出会いや親密な関係などをとおして、学んだこと、気づいたこと、感謝、自分の生きる道を見つけたことなどを自らの言葉で話します。
また学校は祈りにあふれる1週間となります。クラスでは聞いたメッセージを振り返り、クラス全体で分かち合い、しおりに書き留め、祈りの時間をもちます。昼休みには、ほぼ全員の子どもたちが自らチャペルに集い、お祈りします。自分のためだけではなく、祈祷週でお話ししてくれる6年生のために、仲間のために、家族のために、先生のために、大切な人のために、一人で、二人三人と、また先生と一緒に祈り求めます。
今週は6年生のメッセージを一人ずつお届けしていきます。
卒業祈祷週のために6年生たちが話し合い、中心聖句として掲げた聖句です。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」 詩編23編1節
皆さんは、日常生活で「これは平等ではない」と感じることがありませんか。例えば、ドッヂボールをするのに二つのチームに極端なパワーバランスの違いがあったり、飴玉が配られている時に他の人よりも自分だけ数が少なかったりと、このような平等ではない状況に苛立ちを覚えたことがないでしょうか。誰もが少なくとも、一度はこのような体験をしたことがあると思います。私自身もこのような思いになったことが何度もあります。
ですが、東京三育小学校での聖書の学びを通して、「平等」ということに対しての考え方が変わってきました。私の考え方に大きな影響を与えたのは、マタイによる福音書20章1節~16節に書かれている「『ぶどう園の労働者』のたとえ」です。
この例え話を簡単にお話します。ぶどう園の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために夜明けに出かけ、一日1デナリオンの約束で労働者を雇います。ちなみに、1デナリオンを現代の日本のお金に換算すると約1万円になります。主人はさらに労働者を必要として9時、12時、3時、そして夕方5時にも広場に行き、仕事を探している人々を雇い入れます。夕方になり、主人は労働者に賃金を支払いますが、夜明けから働いていた人にも、夕方5時から働いていた人にも、全員に同じ1デナリオンを支払うのです。
みなさんが夜明けから働いている労働者の立場でしたらどのように思うでしょうか。おそらく、ほとんどの人がおかしいと思うのではないでしょうか。働いた時間に大きな違いがあり、長く働いていた自分は夕方5時から働いた労働者や他の労働者よりも、もっと多くの賃金をもらってもいいはすだと思うのではないでしょうか。もしくは、夕方5時から来た労働者は少しの時間しか働いていないのだから、自分より少ない賃金ではないかと、ぶどう園の主人に文句を言いたくなるのではないでしょうか。
この話が一般的な企業における給料の話であれば、平等ではないと思ってもおかしくはないでしょうが、これは聖書に書かれているイエス様が話された例え話であり、もっと奥深い意味を持った話ではないかと思います。なぜなら、この例え話は、「天の国は次のようにたとえられる。」という一文で書き出されているからです。
この例え話に出てくるぶどう園の主人は神様であり、労働者は私たち人間です。ぶどう園は天の国、神様の愛が広がる世界であり、賃金は神様の恵みや神様による救いを表しています。
私たちの人間社会は、数量におけるバランスを保つことや、違いによる区別化を図ることによって平等を生み出していますが、神様の恵みと神様による救いは、働きの長さや量に関わらず、全ての人に平等に与えられることを示しています。この例え話は神様の憐れみを教えている話なのです。
そして、この例え話にはもう一つ重要なポイントがあると私は思います。広場に残されている労働者はぶどう園の主人に出会うことが出来ず、仕事がなくて賃金をもらえないために、今日一日を生きることに不安な気持ちでいっぱいになっている人たちです。このことを私たち人間に置きかえてみると、神様と出会うことが出来ていない人たちは、日常生活における困難に苦しみ続けている状況を表しています。東京三育小学校で聖書の学びを通して神様と出会うことが出来ている私たちは、困難な状況にあっても神様が共にいてくださることを知っていて、祈りによって自分の思いを神様に委ねることが出来ているのです。そして、イエス様の十字架によって罪が許されて、天の国に行くことが出来る救いの約束を知っていることが、何よりも大きな神様からの恵みなのです。
夜明けから働いている労働者は誰よりも早くぶどう園の主人と出会うことが出来、誰よりも早く救いが確証されて賃金には代えられない安心感を得ることが出来たのです。そして、ぶどう園の主人は何度も何度も広場に行って労働者を雇おうとします。神様は、私たち全ての人間が救われるように働きかけてくださる憐れみ深いお方なのです。
聖句をお読みします。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネによる福音書 3章16節
神様は人間一人ひとりを分け隔てなさらずに愛してくださっているのです。神様の恵みと神様の救いは、私たち人間に平等に与えられていて、私たち人間が考える平等の意味を大きく超越しています。本当の平等とは大いなる愛による憐みなのです。
最後に聖句をお読みします。
「神は人を分け隔てなさいません。」 ローマの信徒への手紙 2章11節