2026.03.06
NEWS
6年生一人ひとりが、小学校生活6年間で聖書やお礼拝から、そして学校生活の中で神さまと出会い、たくさんのお祈りをしてきました。卒業祈祷週をとおして、神さまを知っているので、自分が弱い時でも、わたしたちを愛し、共にいてくださる神さまによって強くなれる、と話してくれました。
その子どもたちが間もなく卒業の時を迎えます。一人ひとりを神さまが選んでわたしたちの学校に入学させてくださり、6年間たくさんのお恵みを注いで、心も体も大きく成長させてくださいました。神さまが愛をもってご計画されている子どもたちの人生を豊かに祝福してくださいますように教職員一同祈り続けます。
卒業祈祷週5日目・最終日のメッセージをご紹介します。
「お祈りする場所」
私は、東京三育小学校に入学して、礼拝堂で神様にお祈りすることの素晴らしさを学びました。月曜日の児童礼拝や土曜日の安息日礼拝に参加し、礼拝堂でお祈りすることによって心を和ませることができ、礼拝堂が自分にとって大切な場所になりました。皆さんにとっては、礼拝堂でお祈りすることは、どのような意味を持っていますか。
三育小学校に入学したばかりの私にとって、一番の戸惑いは土曜日の礼拝でした。小学校に入学する前の私にとって、土曜日は日曜日と同じただの休みの日で、家族と出かけたり、家でゆっくり遊んだりするのが当たり前の過ごし方でした。そのため、土曜日に教会に行くことに対して抵抗がありました。しかし、土曜日に教会に行き続けることによって、抵抗があったはずの土曜日の礼拝が、自分にとっての大切な時間になっていました。それはきっと、一人でお祈りしているのではなく、先生や友達と一緒に賛美歌を歌い、同じ空間で神様のお話を聞くという温かい時間があったからだと思います。静かに目を閉じてお祈りをする時間は、日常の喧騒から離れ、神様と深く対話する貴重なひとときとなりました。
6年生になった今、私が土曜日に礼拝に参加する目的の一つは、1週間の歩みを立ち止まって振り返り、新しい1週間を過ごすことができるようにするためだと思います。私たちは、日々の忙しさの中で、つい大切なことを見失いがちになり、自分の力だけで生きているような錯覚に陥り、自信を失って落ち込むこともあります。しかし、土曜日に神様との礼拝という時間を持つことで、私たちは、見失ってしまった大切なことを思い出すことができるようになります。私にとって、礼拝堂での礼拝やお祈りは、心のメンテナンスのようなものです。
安息日の礼拝は、単に毎週参加するだけのものではありません。安息日の大きな目的は、神様が私たちにくださった、癒しを受けることができる場所です。お祈りを通して自分の心を整えることで、新しい1週間を、純粋な心で踏み出すことができます。この素晴らしい習慣は、この東京三育小学校が私に与えてくれた、宝物です。
皆さんの中には、時には礼拝を少し長く感じて退屈な気持ちになったり、なぜお祈りのするのかと考えたりすることがあるかもしれません。しかし、この礼拝堂で神様やみんなと過ごす時間は、知らず知らずのうちに皆さんの心を癒してくれると思います。また、ここで静かに目を閉じて祈った時間は、私たちがこれから歩む長い人生のどこかで、必ず大きな支えになってくれると思います。
聖書のエレミヤ書29章12節には、
「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」
と記されています。
中学校、高校と進学する中で、私たちの前には厳しい困難や、悩みがあるかもしれません。けれども、この聖句にあるように、私たちが神様を呼び求め、お祈りをする時、神様は必ず私たちの声を聞いてくださります。ここで静かにお祈りをした時間は、私たちがこれから歩む長い人生のどこかで、必ず大きな支えになってくれるはずだと思います。また、目には見えなくても、神様がいつも共にいてくださるという安心感は、私たちが自分らしく生きていくための支えになると思います。
私は、三育小学校で学んだお祈りをする心を、卒業してもずっと持ち続けていきたいと思っています。皆さんも、この美しい礼拝堂でお祈りをすることができることを喜び、大切にしながら、素晴らしい学校生活を送ってください。礼拝堂でお祈りすることは、人それぞれ感じ方が異なると思いますが、礼拝堂が私たちを迎え入れ、癒やしてくれる場所であることに変わりはないと思います。