2025.03.15
NEWS
祈祷週のために6年生全員で選んだテーマ聖句は、
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
ヨハネによる福音書15章5節
でした。この聖句は卒業生としてのモットーでもあります。
23名の子どもたちには神様が用意されている23通りの道があります。平たんではないかもしれませんが、神様の木につながっていれば安心して歩むことができる道だと子どもたち自身が気づいてくれていることがうれしいかぎりです。
この6年間で子どもたちは神様からたくさんの愛と喜びをいただきました。その愛と喜びをもって自分自身が喜ぶだけでなく、これから出会う人々を助けたり、励ましたり、寄り添ったり、赦すことをいとわない人にさらに成長してくれると信じます。
今日は、卒業祈祷週のメッセージをご紹介する最終回です。
「自分の目の中」
皆さんに嫌いな人はいますか。おそらく誰でも一人はいるのではないかと思います。
私にも嫌いな人がいました。その人は自己中心的な性格で、すぐに人を否定する人でした。また、別の嫌いな人は自分の非を認めず、自分を過大評価する人でした。
ある日、嫌いな人が声を掛けてきました。私は冷たい態度をとりました。その人に時間を割くより、仲が良い人と過ごす方が有効だと思ったからです。その人は離れていきました。
数日後、別の人が声を掛けてきました。怒られると面倒だと思ったので、優しく接しながらも早く話を終わらせようとしました。察したのか、その人はその場をあとにしました。
その夜、夢を見ました。クラスメイトに嫌われ、悪口を言われる夢です。朝が来たとき、私は学校に行くことが怖くなっていました。本当にそう思われていたらどうしよう。その不安を打ち消そうと、そう思われることがないか自分の行いを精査することにしました。
私は気づきました。そのように思われていても自業自得なのです。私は仲がいい人に対しても自分の損得だけを考えて接していました。この人と仲が悪くなると困るから、仲良くしよう。そのように、自分が社会に適合するための道具として人をみていました。
そしてもう一つのことにも気づきました。嫌いな人に当てはまる特徴は、そっくり私にも当てはまっているのです。私は自分の利益のためだけに人と接し、嫌いな人の良いところを見ようともせずにすぐに否定していました。自分は正しい方で、相手の性格や態度が悪いと考え、自分は嫌われる側ではないと思い込んでいました。きっと自分の醜いところを見るのが怖くて、他人の粗探しをして目を逸らしていたのでしょう。
一つの聖句を思い出しました。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」
マタイによる福音書 7章3~5節
私は自分が自己中心的で、人を否定していることに気づけませんでした。またそのような自分の非を認めず、人の悪いところばかりを見ていました。自分が正しいと思うことは時に良い効果を発揮しますが、本当の自分の姿を見なくなることにもつながります。皆さんも「自分は正しい」と思うことがあると思います。しかし、まずは自分にも悪いところがなかったか冷静になって考えてみてください。相手だけが悪いことはないはずです。
また、人を悪い人だと決めつけていませんか。嫌いな人だと余計にそう思えるかもしれません。しかし、そのような厳しい目線で人を見ているとやがて自分にも跳ね返ってきます。まずは赦してみてください。自分が罪を犯したときに赦してもらえるかもしれません。
これらは、全て聖書に書いてあったことです。私はこの出来事を通して、イエス様がどんなに賢いかを知りました。聖書を通して、人と接するうえで必要な知恵を教えてくださっているのです。最後に、私が大事だと感じた聖句を紹介します。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」
ルカによる福音書 6章37節