2026.07.07
NEWS
3泊4日の沖縄修学旅行では、本校を含めた全国各地にある系列校6校が沖縄三育小学校に会し、仲間と祈り合い、賛美し、親睦を深めました。また事前に調べた沖縄の衣食住文化や産業、歴史について現地で体験し、自分なりの意見や考えを持つことを目的としています。この中で一番の大きな目的は沖縄戦の戦跡や米軍基地周辺を訪れ、沖縄の過去と今とを考える平和学習です。
3泊4日の様子はInstagramに掲載していますので、是非ご覧ください。
先に、事前学習において、引率者でもあった校長がオリエンテーションの中で話した内容の一部をご紹介します。
「赦しが人生を変える」 校長 平田 理
皆さんに紹介した植松誠先生の体験は、一人の人間の「赦し」が、どれほど大きな力を持っているかを教えてくれる、本当にあったお話です。
1942年4月18日、アメリカ軍は16機の爆撃機で日本を攻撃しました。これは、前年12月の真珠湾攻撃への仕返し、「ドーリットル作戦」でした。その爆撃機に乗っていたのが、ロバート・ハイトさんです。しかし、作戦のあとロバートさんは日本軍の捕虜となり、中国・上海の収容所で3年半もの間、苦しい捕虜生活を送りました。仲間の多くが命を落とし、生き残ったのはわずか4人でした。
戦争が終わり、ロバートさんは故郷のオクラホマ州に戻りました。教会の中心として多くの人々に慕われる、誠実なクリスチャンとして歩み始めたのです。そんな教会に、遠い日本から一人の青年が留学生として通い始めました。後に聖公会司教となる植松誠先生です。
ロバートさんは、植松青年に「おはよう」と「さようなら」は言うものの、それ以上、なかなか心を開くことができませんでした。戦争中に受けた酷い苦しみや悲しみが、心の奥深くに残り忘れられなかったのです。植松先生も、その理由を知り、どう接したらよいのか悩みました。
やがて植松青年は結婚することになりましたが、日本から家族を呼ぶことはできません。花嫁をエスコートしてくださる方を教会の中からお願いしようと考えていた時、思いがけないことが起こりました。あのロバートさんが静かにこう言ったのです。「もしよかったら、私ではだめだろうか。」植松先生は驚きました。ロバートさんにとって、日本人を受け入れることは簡単ではありませんでした。忘れられない苦しみがあったからです。それでも彼は祈りました。「憎しみのままでいたくない。キリストが私を赦してくださったように、私も赦したい。」何度も迷い、苦しみながら、ロバートさんは勇気を出して涙と共に一歩を踏み出したのです。
植松先生は後に、この出来事が自分の人生を決定づけたと語っています。赦しとは、悪かったことを忘れることではなく、傷ついた心を抱えながらも、もう一度相手を受け入れようとする勇気です。ロバートさんの赦しは、植松先生の人生を変えました。そして植松先生は、その愛と赦しを伝えるために、神さまに仕える道を歩むことを決意したのです。
皆さんの周りにも、けんかをした友達や、なかなか仲直りできない人がいるかもしれません。でも、そんな時、思い出してください。赦しは弱い人がすることではなく、本当に強い人に与えられる、愛のある勇気なのです。そこに神さまによる平和と、真の平安がもたらされるのです。
「互いに親切にし、憐れみ深い者となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エフェソの信徒への手紙 4章32節)
6年生たちは「平和をつくり出す者とは」、を問いかけられ、沖縄修学旅行に出発しました。
その6年生が沖縄に行かなければ考えなかったこと、感じなかったこと、そしてこれからどのように生きるのかを全校児童を前に話してくれました。沖縄で起こったこと、そして今こそ平和が必要だと下級生たちに伝えたい、という強い思いが感じられた報告となりました。2回に分けて掲載します。
*なぜ美しい沖縄の海が血に染まらなければならなかったのでしょうか。それは沖縄が日本本土を守るための「捨て石」にされたからです。太平洋戦争末期、アメリカ軍は日本本土へ攻め込む足掛かりとして沖縄を狙いました。日本軍もそれを分かっていながら、本土決戦の手前で敵を食い止めるために沖縄を戦場にしたのです。国の都合によって軍人だけでなく、罪のない多くの民間人が犠牲になった歴史を、わたしたちは決して忘れてはなりません。いのちの大切さに私は改めて考えさせられる修学旅行となりました。
*ぼくが沖縄に行って学んだことは、平和な世界にするためにできる事です。ぼくができる事は、ピースメーカーになってだれにでもやさしく接すること、差別など人種が違うだけでその人を嫌うのではなく、まずは話してみることが大事だと思います。何よりもその人を見たままで評価せず、性格やその人自身を知ってから評価することが平和な世界に近づくための一歩だと思っています。
*自分たちの国を増やしたいがために住民を戦争に行かせて殺し合いをすることが平和と言えるのか、はたして戦争をしたことが本当に正しかったかのかということを考えさせられました。戦争がなくなり、平和な世界にするために、世界中の人々がどうしていけばいいのかを調べ、これから戦争について学ぶ人にも伝えたいです。
*修学旅行で戦争と平和について学びました。そこで戦争の悲惨さを知り、今自分が元気で平和に過ごせていることに感謝しようと思いました。そして私は平和ではない人がいるこの世界で平和をつくりだす人になりたいと思いました。
*私は「感謝」の大切さを学びました。まず何日も前から準備してくださった方々への「ありがとう」という感謝。今まで当たり前だと思っていたことが全部、前の人たちが頑張って築きあげてくれたことを知り感謝しました。この世界に当たり前なことは何もありません。ご飯を作ってくれる両親、優しく接してくれる友達、分かりやすく説明してくれる先生、すべてを計画してくださる天の神様に「ありがとう」といつも言えるようにします。
*戦争や平和について学びました。その中で平和は当たり前ではないと感じました。今学校にいることも、学べていることも今が平和だからだと感じます。修学旅行をきっかけとして平和を大切にし、平和をつくりだしていきたいです。そして平和は当たり前ではなく昔の戦争で生き抜いた人のおかげだと感じてほしいです。
*「ひめゆり資料館」「沖縄平和祈念資料館」を見学して「幸せなこととは」について学びました。今こうして家族や友達と笑って過ごせる毎日が当たり前ではなく幸せなことだと学びました。また平和は一人ひとりが思いやりを持ち、大切にしていくことだと考えました。これからは身近な人への感謝を忘れずに平和な毎日を大切にして生きていきたいです。
*「当たり前なことなど何もない」ことを学びました。沖縄戦では兵隊だけでなく、住民や子どもも戦争に駆り出されました。学校に行きたくても行けない生徒たち、お腹がすいていても十分に食べられない住民、明日死んでしまうかもしれない兵隊たち。今、私たちはふつうに学校へ行き、ご飯を食べ、今この場所にいます。私は時々やりたくないなと思ってしまうことがありますが、これからはしたくてもできなかった人たちの代わりに頑張りたいです。私は平和の礎となって平和をつくり出していきたいです。
*沖縄のヒット曲「島唄」。この曲は沖縄戦の悲劇と「ひめゆり学徒隊」への渾身の祈りが込められた歌です。作詞した宮沢和史さんがひめゆり平和祈念資料館で生存者の深い涙に触れたことから生まれました。「ウージの森であなたと出会い、ウージの下で千代にさよなら」。サトウキビ畑で命を落とした若者たちを想い、作られた平和への願いです。ぜひ聞いてみてください。