2026.08.28
校長通信
校長 平田 理
多くの人に読み継がれている絵本「大きな木」をご存知でしょう。翻訳者 本田錦一郎が「大きな木」(1976)と訳題したので、原題「The Giving Tree(1964)」(シェル・シルヴァスタイン 1930-1999)から受ける意味とは、印象が異なります。日本では「大きな木」として長く親しまれていますが、著者が題に込めた願いは、「Giving:与えること」が主題の絵本です。
「大きな木」は「Boy:少年」に乞われるたびに与え続け、寄り添い続ける存在として描かれる物語です。「Boy:ちびっこ」は葉っぱを集めて冠にし、枝にぶら下がって遊び、りんごを食べ、木陰で休みます。さらにお金を求めて、りんごの実を売って買い物をし、枝を切って家をつくり、幸せを手に入れるのです。しまいには、遠くにいくために「大きな木」を倒し、船にして旅立ってしまいます。それでもなお、残された「古びた切り株」は幸せを感じたのでした。与え続けた「大きな木」はもはや「古い切り株」と化しますが、歳を重ねた「Boy」が休む場所を求めると、切り株は座って安らぎを得るようにと、「与えて」幸せを感じるのです。
すべてを与えて尚、「Boy」の幸せを願い、自己犠牲を厭わないのはなぜでしょうか。「与える木」は、「少年」が離れていても、近寄ってきても、それを喜び、いつくしみ、自らが与え続けた「もの」ではなく、目に見えない「つながり」に幸せを見出し、「与える木」自身が幸せだったからです。それは与え続けた「いつくしみ」と「愛」が真実であったからではないでしょうか。しかし、文中「And the tree was happy」は繰り返され、与える側の「身を削る」ことへの葛藤や覚悟も想像させます。一方で受け続けた側の虚無感と共に「but not really:これで本当に良いのか」と読者に問い続け、奥深い思索に招く絵本でもあります。
キリスト教教育学校(大学)で長年、教鞭をとられた翻訳者が「与える」ことの背後にある「大きな存在」から受ける恵み、言い換えるならば「神の存在」を意識して「おおきな木」と訳題されたことは想像しやすいことです。この絵本は、人は「大きな存在」に支えられ、寄り添われ、生かされていることを忘れてはならないと静かに訴えています。一人ひとりの命は、本来、与えられたものであり、慈しまれ、愛されるべき存在であることを教えてくれるのです。
E・フロム(Erich Fromm,1900-1980)は名著「愛するということ」の中で「愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。」と説きました。愛は与え続け、他を尊重し、自分の持てる力を届ける最高の手段だというのです。
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