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2026.02.27

校長通信

「ことばのかたち」

校長 平田 理

 

聖書には、イエス・キリストと弟子たちが食事の前に手を洗わなかったため、当時のしきたりを重んじるパリサイ派(律法主義者)の人々から指摘を受ける場面が記されています(マタイによる福音書15章1-20節)。儀式的な汚れを問題視する人々に対し、イエス・キリストはこう反駁されました。

「・・・。「聞いて悟りなさい。口から入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」」 (マタイによる福音書15章10-11節)

 この言葉は、外側の行いよりも、心の内から出てくるものが真に人を汚すことを示唆しています。パリサイ派の人々の心の中にある悪意によって発せられた「言葉」がその人を汚し、他者を傷つけることもあると忠告されたのです。

 子どもたちだけでなく、大人にこそ読んでいただきたい絵本に、『ことばのかたち』(著:おーなり由子、講談社2013)があります。改めて読み直し、この「人を汚すもの」とは、私たちが何気なく発する「言葉」や人には見えにくい心の奥にあるもののことではないかと、内面を見つめ直す機会となりました。

 私たちが発する言葉は、心にあるものの一部を表現し、誰かに伝えたり、聞かせたりするための道具です。しかし、一度発せられた言葉がどこまで届き、どんな影響を与えているのかは、目に見えません。もし、私たちの言葉が目に見える「かたち」を持っていたら、どうでしょうか?

 「美しいことば」は、花のかたちをして、誰かの心に安らぎを届ける。「だれかを傷つけることば」は、釘のかたちで口から発射され、突き刺さるところが見える。もし、意図せぬ言葉が誰かに突き刺さる瞬間が見えたなら、私たちはその言葉を止めることができるでしょうか?或いは、厳しい言葉であっても、それが大切な忠告や助言であるなら、私たちはそれを受け止め、自分の心の中で良いものとして育てていくことができるでしょうか。また、あえて「だまっている」ことがもたらす気持ちは、窮屈でしょうか、それとも豊かでしょうか?言葉にかたちがあって、それが心の中に「美しい色で誰かを支えられる形」で蓄えられ、不要になったら消えてしまうものであってほしいと願うのは私だけでしょうか。

 このキリストの言葉と絵本は、私たちが日常的に使う「言葉の力」と「心の在り方」について、深く考えるきっかけを与えてくれます。心の中の清さを保つことが、本当の意味で汚れたものを遠ざけるのです。子どもたちの豊かな心を育むためにも、「言葉の大切さ」について、語り合う時間を持っていただけたら幸いです。

 

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